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ボストン発→里帰り -visit my parents at my old home-2013/05/24

実家の居間にあるコタツが大好きだったね。

成田空港からビジネスホテルへ直行して、チェックインしてから夜通し机の前に座って、心身強張ったまま3月26日の朝を向かえた。

マサチューセッツのHaverhillのアパートでは25日の夕方までジャズは毛布に包まれて眠っていた。ジャズを火葬するために獣医クリニックへ連れて行く前にやっとサンドイッチとスカイプで会うことができた。すぐにジャズはと聞いた。もう車に置いてきた後だった。まだジャズがそこに居たら見ていたかもしれないが正直もう息を吹返すことがないジャズを触れることなしに見るだけではあまりにも辛かった。サンドイッチは電話でもスカイプでも泣いて、学校でも泣いてしまったという。彼が泣くのを見るのはこれが初めてだった。彼は一転して変わり果てたジャズの姿を直に見ているのだからその心の衝撃は計り知れない。

この画像はサンドイッチのパソコンの壁紙になっていた。

朝食開始7時前にフロントへ出向いてみた。 楽しみにしていた日本の朝食だったがやはり食べられなかった。もうこれ以上狭い室内に留まるのは限界だったので早々にチェックアウトした。 沈痛な面持ちのまま市役所へ向かった。まだ職員の人たちがようやく出勤してくるころの時間帯だった。 早過ぎるのは分かっていたが開いている入口から入って尋ねてみたら親切に受け付けてくれた。国民健康保険を受け取って予約していた歯医者へ向かった。限られた日程内に予定だけはきちっと果たさないことにはアメリカへも戻れない。

里帰りと言っても両親の家は去年の6月以来9ヶ月間の空き家状態であった。

ガス屋さんと電気屋さんに再開手続きをしてもらわなければここでの生活はスタートしないのだ。寂しい限りだけど、もう誰も待つ者はここには居ない。 留守の間にネズミとハクビシンが侵入した形跡があった。 日本で過ごす一か月足らずの期間はご飯炊いて納豆と焼き魚と豆腐で日本食を繰り返し食べるつもりで楽しみにしていた。しかしネズミ、ハクビシンとジャズのことで到底自炊する気になれなかった 。胃痛が伴って食べられない状態が2日続いた。散歩で知り合った犬友が心配して元気が出るスープを持って来てくれた。彼女とは散歩コースでたまに会った時にだけ互いの犬の話しをするだけの関係であったが、渡米する前に携帯メールを教えてもらいそれからメール交換をするようになっていった。

元気が出るスープの後にもスペシャルライス、スペシャルカレー、スペシャルサラダ、スペシャルブレットを作って持って来てくれてポロポロ涙流しながら食べていたっけ。大きな感動が大きな喪失感をうめてくれたこの時のこと生涯忘れられないな。あなたが言ってくれたように、次に誰かにこのお返しが出来たらいいなと思っているよ。


サンドイッチは毎日ジャズのことを書いてメール送信してきた。最初のメールを読んだとき涙がいっぱい溢れてきて泣けた。泣けるようになってからご飯も食べらるようになった。 悲し過ぎて怖くって眠れない日が続き、昨夜は少し寝れた、半分寝ながら涙流しながら寝ていたなどを繰り返しながらの日本滞在だった。その間、京都の親友、犬友、サンドイッチが日本在住中にお世話になったボーイスカウトの団長さん+女性3人などに励まされた日々だった。

母のグループホームに4回くらい面会にも行けた。お墓参りにも行った。ゆくゆく決めなければならない永代供養の見学もした。実家の庭の植木の伐採もシルバーさんに予定通りにやってもらった。 当初20日のアメリカへの帰国予定を12日に変更してサンドイッチとジャズが待つマサチューセッツのHaverhillへ予定より1週間ほど早めて帰っていった。

”あれ〜ここはどこ?”

こんな風にタイムスリップしてまたこっちへ戻ってこないかな。