始終ナーバスだった、成田発→ボストン行き。2013/04/122013/05/30

このボストン行きのチケットはアメリカへ戻るために手配したチケットで20日のエア•カナダのトロント経由ボストン行きの予約を急遽12日のデルタ航空デトロイト経由ボストン行きに変更した。長く一人で過ごすことを望まなかった。

やはり出発当日心配がよぎった。北朝鮮がミサイルを何機も同時に発射させる可能性があると報じられ緊迫している頃で、私の乗る飛行機がたまたま運悪く撃墜されるかもしれないなど内心懸念を抱いていた。

デトロイトでの乗り継ぎは5年前くらいに予定の便が遅れて結局最終便でなんとかボストンへこぎ着けたという苦い経験があったのを気にかけていた。

事前に時間に余裕を持って乗り継ぎ便を予約していた。しかしデトロイトからの乗り継ぎ便は予定時刻をとっくに過ぎていった。 その間、目の前に見える私たちが乗る予定の飛行機を脚立に乗って何やら調整しているのが見えた。この飛行機大丈夫なのだろうかとかなり神経衰弱のような状態になっていた。結局2時間ほど遅れて離陸、その飛行機の車輪がサンドイッチとジャズが待つマサチューセッツ州の大地に着けた時はホッとした。

帰途につき、そこに待っていたのは遺灰になって小さな木箱に入ってしまったジャズだった。それからどの位置で息絶えていたのかサンドイッチに確認した。 ソファの左端がジャズの場所であった。ソファの中央部分にオシッコで濡れた形跡があった。それからジャズは力を振り絞って右端に移動したと思われる。

そしてソファのもっとも右端でドアの方に頭を向けて目を開けたまま息絶えていた。ジャズにとっても予測していなかった事態に見舞われたんだと思う。

何もすることが出来なかった私はそのソファの位置に顔を埋めてそこにジャズを想像して感じるようにして号泣するだけだった。そしてジャズの遺灰が入った木箱を抱きしめてサンドイッチと二人で号泣した。

渡米してから9ヶ月と5日過ごしたジャズは、ボストンテリアのルーツになるこのマサチューセッツ州に永眠した。

曰く付きオープンチケットっだったのだろうか。

成田発→ニューヨーク行。 2012/06/20

NYへの直行便は一度は飛び立たちトラブル発生で成田へUターン。

二度目の離陸で無事ニューヨークに到着し、元気なジャズと再会したその感動はひとしおであった。

ボストン発→成田行。 2013/03/24

しかしその往復チケットで成田に着いた時間のころに私はジャズを失った。それがジャズの寿命だったんだではどうしても納得が行かない。何故元気だったジャズがそんな流れの末に死ななければならなかったのだろうか。何故私が留守にしたとたんに、何故死ななければならなかったのだろうか。何故ジャズは数日前でも数日後でもないその日に死んでしまったのだろうか。日本のかかりつけの獣医さんに尋ねてみたところその死因は断定出来ないけれど恐らく急性心不全だろうと言っていた。

ジャズはワクチンをアメリカで1月と2月に受けていた。その時日本ではなかった接種後の筋肉の痛みを発症していたジャズだった。二回とも3〜5日くらいで痛みは完治していたが初めての痛みだったので心配した。もちろんそれが原因ではないと思うけどワクチンの賛否について頭が過ったのも事実だ。

ジャズが居なくなってからずっとそんなことを繰り返し考えている。

そしていつでも涙が溢れてきてしまう。ソファーに座ってギターを弾いた。いつも横にジャズが居てくれた。途中で涙が溢れ出し弾く事が出来なくなった。それから毎日練習していたギターも弾いていない。どうしようもなく悲しくなる瞬間がある。そこハマってしまうといつまでも涙を流してしまう。その繰り返しの日々だ。 動物や犬を愛する人たちとって動物や犬の愛しさは格別、私たちの心をこころから和ませてくれるその存在の大きさは計り知れないだけに失った時の悲しみも計り知れない。

愛しい愛しいジャズをもう一度この胸に抱きしめたい。