携帯からアクセス

Thank you for stopping by!

RSS

切ないね でも永遠に変わらぬもの2016/04/16


年に一度の一時帰国で目にするあらゆるものなんですが、こうもしみじみと深く

心に入ってきたり、刻々と変わりゆくモノに感傷的になりがちになったり、同時に

自分になぞらえるように年を増していくその流れに敏感になったりしています。



今回の訪問では、全く娘の私が認識出来なくなってしまった母でした。

完璧に自分の世界に没頭している様子の母は、拍子を取るように、

何か同じことを口ずさんで繰り返し唄っているようでもありました。

生きるための最低限の日課ごと、食べる・排泄・歩くなどは

まだ幸い自分で出来る能力を維持して元気にしています。


新設されたこのグループホームも私の渡米と時を同じくして6月で4年目を

向かえることになりますが、母と同じ2階に住む顔なじみの二人の利用者さんが

亡くなっていました。時の流れとはいえ、なんとも寂しいものです。


新しい利用者さん2名が新たに加わりました。事情は分かりませんが、

お一人の方は認知症がないにも関わらず利用されていました。

とても目の行き届く方で、他の利用者さんのことを知り尽くしスタッフの

一員のように面倒を見てくれるそうです。今までにないその人の働きかけで

場が和んでいくような雰囲気に、なんだかほっとする感じでした。


まだ入所されて数ヶ月のもう一人の方は、施設に馴染めず、カバンと帽子を

持って、ここには居られませんので帰らなければなりませんと繰り返し繰り返し

おっしゃっていました。黒のスリムなジーンズでその年代の人にはありえない

ようなハイセンスな活動的な出で立ちの方ですが、驚くこと、おんとし93歳、

絶対に見えないそのその若さにはびっくりしてしまいました。

自由に自分のペースで独身で生きてきた人で、ここに馴染めないんだろうと

その世話役の利用者さんが言っていました。

そんな方でも認知症になってしまうなんて、なんて切ないことでしょうか。


こうして時の流れはそれぞれの形で容赦なく人を衰退させていきます。

長〜い過去を生きて来たそれぞれのお年寄りの現在に接して、

切なくしみじみしたものを感じてやまないのは私だけでしょうか。


従姉妹と久しぶりに食べた、天保3年(1832年)から続く川越にある

老舗のウナギをしみじみと味合ってしまいました。184年も続いている

日本人の食文化の味わいの一つとして永遠に受け継がれていくのでしょう。


それぞれの中に在るモノコトヒトの流れ、消滅していくもの 受け継がれて

いくもの、それらのしみじみとしたそれぞれの五味を味わうように吸収して

何かに還元していけるようにいつまでも感性豊かでありたいなと思うんですがね。


そういった意味でも、ちょっと贅沢な鰻を食するのも五感にいいのかも。