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モザイクの歩み個性的な京都の友2016/12/02

モザイクの歩み個性的な京都の友


27年前にイタリアで出会って以来の友人が企画した「京都モザイク展」

彼女ならではの
発想と情熱に基づいた独創性のある展覧会のご案内です。



 国内外三十組のモ ザ イク 作 家 に よる 特 別 展
地元小学生作品+ 京都ゆかりのモザイク作品展



 会期:2016年12月6日(火)~12月11日(日)


     11:00 - 18:30 (初日は14:00より、最終日は 16:00 まで) 


会場:しまだいギャラリー 京都市中京区御池通東洞院西北角


    Tel/075-221-5007 


後援:京都新聞、 京都市国際交流協会、日本イタリア会館、エフエム京都


主催:マルモザイコ  "http://marmosaico.exblog.jp―

後援|京都府、京都市、京都市教育委員会、京都市国際交流会館、京都新聞、


日本イタリア会館、エフエム京都


特別協力|名古屋モザイク工業株式会社


協賛|多治見市モザイクタイルミュージアム、株式会社平田タイル、


山周セラミック有限会社


コンセプトは、tu-na-gu


 かけらとかけら、人と人、場と場をつなぐモザイクの世界。


    紀元前より受け継がれてきたモザイクを京都から未来へつなぐ。









   興味のある方は下記の彼女のHPを是非ご覧ください。


 小説家の吉本ばななさんからの展覧会へのメッセージもあります。


  www.marmosaico.com/exhibition









豊かな発想と個性と情熱でこの展覧会を企画した彼女が目指すパブリックアート



としてのモザイクの可能性への第一歩を踏み出したと思います。






 京都へ行かれる予定のある方はもちろん、 興味を持たれた方もこの機会に

是非お立ち寄りください。  


ユニークで温かく人間味のある彼女との楽しい出会いがあるかもしれません。



吉本ばななさんも尊敬する自慢の友2016/12/03

吉本ばななさんも尊敬する自慢の友


彼女の何がすごいって、


 夢を語っていた彼女が既存の価値観の枠組みを超えて柔軟な思考と行動力で





目的を目指してその夢を実現したことです。 『京都モザイク』の企画を、





独自で考案した彼女は、正しくゼロベース思考からのスタートでした。




体当たり精神であらゆる困難に
向かうその涙ぐましい努力の積み重ねで



道を切り開いてきました。彼女が企画した「京都モザイク展」で繋がった

国内はもちろんのこと海外の人々の間でも注目されて話題になっています。





27年前にイタリアで出会って以来の友人が企画した「京都モザイク展」

彼女ならではの
発想と情熱に基づいた独創性のある展覧会のご案内です。



 国内外三十組のモ ザ イク 作 家 に よる 特 別 展
地元小学生作品+ 京都ゆかりのモザイク作品展



 会期:2016年12月6日(火)~12月11日(日)


     11:00 - 18:30 (初日は14:00より、最終日は 16:00 まで) 


会場:しまだいギャラリー 京都市中京区御池通東洞院西北角


    Tel/075-221-5007 


後援:京都新聞、 京都市国際交流協会、日本イタリア会館、エフエム京都


主催:マルモザイコ  "http://marmosaico.exblog.jp―

後援|京都府、京都市、京都市教育委員会、京都市国際交流会館、京都新聞、


日本イタリア会館、エフエム京都


特別協力|名古屋モザイク工業株式会社


協賛|多治見市モザイクタイルミュージアム、株式会社平田タイル、


山周セラミック有限会社


コンセプトは、tu-na-gu


 かけらとかけら、人と人、場と場をつなぐモザイクの世界。


    紀元前より受け継がれてきたモザイクを京都から未来へつなぐ。









   興味のある方は下記の彼女のHPを是非ご覧ください。


 小説家の吉本ばななさんからの展覧会へのメッセージもあります。


  www.marmosaico.com/exhibition









豊かな発想と個性と情熱でこの展覧会を企画した彼女が目指すパブリックアート



としてのモザイクの可能性への第一歩を踏み出したと思います。






 京都へ行かれる予定のある方はもちろん、 興味を持たれた方もこの機会に

是非お立ち寄りください。  


ユニークで温かく人間味のある彼女との楽しい出会いがあるかもしれません。



ハズレだったけど無事で何より2016/12/06

ハズレだったけど無事で何より

引っ越してからこの地域での初雪で今朝起きると、薄っすらと雪景色でした。


気温はお昼近くで3℃まで上がりましたが、冷たい雨で体感温度は低く感じます。


さて本題で、こんなバカな話なんですが…

修理しながら乗った4年間のその修理代が何と5000ドル以上だなんて!

これ私たちのことなんですが、これってアメリカでは常識???

日本人の感覚のまんまの私には信じ難い話なんですがどうなんでしょうか〜


2012年に日本移住からアメリカへ帰国して、まずはすぐに必要になる車の検討

で走行距離が50000マイルと比較的少ないのと4WDってことで1997年型の

RAV4を購入した相棒でした。


その2ヶ月後に渡米してから見たそのRAV4が、7000ドルもしたなんて、

せいぜい5000ドルの価値(?)…信じられないが正直な感想でした。


それからすぐに何かと細かい修理が続きました。走行中にマフラーがそっくり

落下すること2度もあったりと、それでも買い換える為のまとまったお金はなく

騙し騙し乗っていたようなものでした。そして今回のとどめで、エンジンオイル

漏れで修理代に3000ドルもするのでは、も〜買い換えるしかありませんね。


結局 、HONDAでFitを買いました。RAV4の下取りゼロだと思ってましたが

良心的な処置なのか400ドルつきました。

マフラー落下からこのボロRAV4で遠出する時はいつも信用できずに怖いものを

感じていました。 マフラーが2度も落下して、それでもお金のない我が家での

買い替えは無理で大袈裟ですが命がけの乗車で、運が悪ければ他人様も巻き込ん

でしまうかもしれません。修理修理しながら乗り続けるのはアメリカでは普通の

こととか言う相棒でしたが、結果5000ドルの修理代ではちょっとした中古車が

買えてしまう値段ですね。ふぅ〜


ハズレ車を買ってしまっての後の祭りでしたが、とにかくこの4年半の間に

大事故に至らず無事で無事で何よりでしたと思うことにしました。



果たしてこのままアメリカに住み続けるのだろうか2016/12/08

果たしてこのままアメリカに住み続けるのだろうか

私たちの将来について話し合ったのは、車騒動の前のことでした。


ある朝のウォーキングから戻ると将来について話しがしたいと改まった相棒、

内心なんだろ〜でドキドキしながら着替えをすませると、やはり改まった様子で

カウチに座って私を待っていました。ここのところ色々とずーっと考えていて

あまり眠れない日々が続いていると切り出しました。


How time flies!です。相棒が離職してからあっという間の2ヶ月が過ぎました。


今回の車の件もそうでしたが、実行するのが早い相棒で、離職してからすぐに、

水族館での週2回のボランティア活動を始めました。 NewPortとNewBedford

でのボランティア活動のためのトレーニングも12月から始まりましたが、

考えた末に改めて仕事をする必要性に気がついて深刻になった相棒でした。

仕事優先でどこか決まれば当然ボランティア活動は取りやめになると思います。


バタバタした日々に漠然と考えていたことが、やっと余裕のある時間の中で

冷静に考えられるようになった相棒だと思います。決めなければならない

最大の課題とその選択は、60歳過ぎてからの生活の拠点をどこに置くかでした。


経済面を考えれば、家賃のない生活で生計を立てていける可能性がある日本への

移住を考えていました。 相棒も2年半住んだ今では空家状態になった私の両親

の家では、賃貸料を払わない負担のない生活が可能なこと、 母が茶道教室で

使っていたスペースがあり、そこで英語教室を立ち上げていくことでした。


そして、冷静に考え抜いた相棒の結論は、

日本へ移住して生計を立てていくのが最も理想的だと思っていたけれど、

アメリカの家族と遠く離れて暮らすことを想像したら、やはり寂しく、二人の

子供達と孫といつでも会えるアメリカで生活していきたいとのことでした。


そっかぁ、子供の居ない私にはありえない発想なんですが、

行き着いたところ相棒も年相応の考え方になってきたのでしょうか。


そこで、一軒家より安いMobileHomeを購入して将来に備えて固定額の大きな

賃貸料の負担を無くしていくことを考えたのでした。

それには、再び仕事をしなければならない、教員の仕事はもう出来ないけれど

何かフルタイムの仕事を探していくとのことでした。

住むところさえ確保すれば、老後の僅かな年金を頼って、暮らしに余裕はない

けれどもなんとかやっていけるかも。それにはやはり65歳まで働かなければ

その先がないという結論に達したのでした。本当に余裕がなく不安定な

老後に大きな不安がついて回る私たちの綱渡りの人生であります。



ということで、とりあえず日本へ移住することはなくなりました。


そして私の方も、今の所はアメリカで暮らすことに異存はないのですが、

How time flies!で、

すっかりとおじいちゃん&おばあちゃん姿の年代に突入してしまったとき、、、

結構すぐそこにある危機なんですがね、

一体どうなっていくんだろうかと想像もつかなく不安でもありますが、

それもこれも私たちが選んできた今世の道のりで誰にも文句言えませ〜ん。


しかしです、どこに住んでいても、すっかりとおじいちゃんとおばあちゃんに

なっていくのは避けられないワケで…無い物ねだりでお金さえあれば生きる

手段も解決法も改善の余地ありと思ってみたりしても何も始まらず、

今更どうしようもないことでありますぅ〜です。

ただただ今ある現実を受け止めて私たちに課せられた人生の行く末まで、

人様に迷惑をかけないように今を生きていくだけであります。


それには、私もアメリカでいいよ働いて相棒とそれこそ二人三脚で生活を立てて

いかなければなりません。 何のキャリアもなく、まともに英語の出来ない

この私に出来ることって、なんかあるのかしらん〜???

ってことで早速、私もアメリカの職安に出向いてみましたよ〜



あれこれ考えまくる夫に連れ立ってあちこち2016/12/11

あれこれ考えまくる夫に連れ立ってあちこち

日本の公共職業安定所にあたるCarrier Centerへ行ってきました。

日本同様に職業紹介と教育と訓練に関する情報とプログラムが用意されています。


これからは少しでも家計を助けなければならない私も一応登録をしてきました。

そのあとに、順番を待ちカウンセラーに仕事の相談をします。

カウンセラーたちはそれぞれのブースで相談者と面談をしていました。

私たちの担当になった女性はフランクな感じで話しやすい人でした。

セロテープで閉じられたままのまだ開けられていないチョコレートのケースを

彼女のところへ持ってきた人がいて開けるのに手こずっていたようで、

私がテープを剥がして開けてあげると、すぐに食べるようにすすめられました。

チョコレートかじりながらの面談でした。

これはアメリカならでは、日本のハローワークではありえない光景ですね。

言葉を必要としない誰にで出来そうな皿洗いの発想しか今の私にはなく、

レストランでのパートタイマー、さっそく電話を入れてアポをとってくれました。


次の日にレストランへ行くと、まずはネットで応募するように言われました。

皿洗いの仕事は、夜の10時から夜中の2時までだそうです。

しかし、food prep.の仕事なら夕方5時から10時であるそうです。


相棒に手伝ってもらってネットで全て個人情報を記入して応募しました。


しかし、何事も待てない相棒で、沢山の応募者が居るのだろうから待っていても

いつまでも返事がないことが多いにしてあるので、今日、再びレストランへ

出向いて直接話しをしようって言ってます。


肝心要な大黒柱の相棒と言えば、やはり教師以外の仕事を見つけ出すのが、

それこそ今更ごとでかなり難航してる感じです。

今まで応募した職種は、ホテルの予約受付係、本屋さんでヒットしません。

相棒が応募したもう一つの本屋さんの下見にもこれから出向く予定です。


教員資格も宝の持ち腐れになってしまいそうですが、どうしてもこれ以上、

神経と頭を使って消耗したくないそうです。せっかくの資格を活かさないでは

実に勿体無いと思う私ですが、でも本人が嫌なものは仕方ありません。


そして相棒、思うような展開にならずまたも失望していますが…

世の中そ〜甘か〜ないですわ!