2016年の締めはロングアイランド2017/01/01

2016年の締めはロングアイランド


私たちにとって数々の大きな変化があった2016年でした。


 2016年の最大の締めは、相棒の故郷の地でのママの埋葬でした。



 New Londonからフェリー所要時間は1時間半くらいでグリーンポートに到着。



 のどかな一本道を45分ほど走行した辺りのホテルでチェックインを済ませ

オータムを連れ立って相棒の故郷Westhampton Beachをドライブしながら


案内してくれたもっとも思い出の場所、相棒の育った家は今も健在で外壁の

色だけ塗り替えてあってあとは昔のまんまの様子で懐かしんでいました。



 このビーチは夏場には毎日来ていたそうで、ほとんど変わっていない数々の


風景の中に思いを寄せながら目頭が熱くなっている相棒でした。



 すぐ近くは、小さなタウンがあって、教会と映画館だけが昔のままであとの


店並びはすっかり変わっているそうですが、40年前もの時を経て住む人々は


違っても家並みはほとんど変わらず今だ昔の面影を残している静かな佇まいを


目にして、本当に相棒はいい環境の中で育ったんだなって実感しました。



 両親とよく行ったBaby Moonというイタリアンレストランがまだ営業している

かどうか行ってみました。 相棒が高校生の時にイタリアから英語がしゃべれな

い一家が移民してきて開いたレストランだったそうです。その息子の一人が相棒

と同級生だったそうで、確かにイタリア人っぽい男性がレジのとこに居ましたが、

シャイな相棒、顔も覚えていないし、だいち親しいわけでもなかったのでと

言って声をかけませんでした。



 赤アサリのスパゲティとインゲンとトマトのサラダ、アメリカでこんな美味しい

スパゲティ食べたの初めてくらいにすっごくいい味でした!



 次の日はBay Shoreに向かいながら、この道は毎週末に祖父母の家に通った


道...と話しながら、感極まって相棒泣き出してしまいました。



 あいにくの雨の中でのママの埋葬となりましたが無事に終わりました。


墓地を後にする時に無性に寂しく悲しくなりました。誰もがやがては土に

還っていくのですが..なんだか呆然としてしまう感じでした。



 その後は近くのいとこのお家でランチをご馳走になり、相棒の91歳の叔母さん





は、お父さんの妹でとても優しい人で、私の名前を知っていて呼びかけて


くれた時はビックリ感動しました。






アメリカで生活していると特にアメリカ人の家族の絆の強さを感じています。


家族っていいもんだったんだ!やっと目が覚めた感じですがすでに遅しでした。


そして翌日の帰宅に向かう朝、相棒の偏頭痛が始まっていました。

チェックアウトするまでベッドの中で過ごしグリーンポートへ向かいました。


強風の為、予定の船は出航を取りやめて、大きな船の到着を待って45分遅れで

それに乗船することができました。 New Londonでランチをとる予定にしていた

のですが、船を降りてから家へそのまま直帰!相棒はすぐにベッド直行でした。

オータムの世話と朝の荷作り積み込み運転とすべて一人でこなした、

2016年の締めとなりました。


そして楽しみの一つで今日の年末に一泊でお友達夫婦がやってくる予定でしたが

残念にも相棒の頭痛でキャンセルしてしまいました :(



 2016年はいろんな意味でいろいろありました!

しかし、なんとか無事に過ごすこともできました!


そして、来年は私たちなりに飛躍する年にしたいものですが、

さてさて実際に、どんな年の流れになるのでしょうか!


2017年もよろしくお願い申し上げます。

皆さま、良いお年をお迎えください!



年初め人並みの一面 20172017/01/03

年初め人並みの一面 2017

皆さま、明けましておめでとうございます!

そして、今年もお立ち寄りくださりありがとうございます。


私にとっても心の拠り所になっているブログですので、今年も続けていきます!


さてさて皆さまの元旦はいかがお過ごしでしたでしょうか、

私は小心な一面があったりして、

一年の良し悪しは元旦次第、一年の計は元旦にあり、さんざん子供の頃から

祖母や親が年末年始になると言っていたのが耳にこびりついてしまっていて、

一月一日は妙に身構えてしまい極力気持ち良く過ごすように努めています。


本来の意味は、物事を始めるにあたって最初が肝心で一年の目標と計画を

きちっと立てることが大切ってことなんですが、二人でパートの仕事を探す

ことぐらいで、あとは諸々のことはありますが、きちっと立てるほどの内容も

具体性も今のところなくすべて漠然としたまんまです。


穏やかな朝の始まりでいつもより長い年初めウォーキングからスタートしました。

戻ってきて絵の制作にロゼッタストーンと本で英語の勉強を手がけました。

そして、ここでおせち料理といけばアメリカ生活も華やかな雰囲気に包まれて

パーフェクトだと思いますが、私のアメリカ生活に限っては全く皆無です。

一品食い相棒は日本式スタイルのその類は好きでないんですね。

幸い私ももともとあってもなくてもって感じで全くこだわっていません。

なので、朝食は日課通りめいめいでそれぞれのペースで朝を過ごしました。

ランチにはアメリカンスタイルで相棒がこさえたサンドイッチを食べて、


午後からオータムを伴いNew PortのCliff Walkへ繰り出しました。


快晴でのんびり休日に考えることはだいたい同じなんですね。多くの犬連れの

人たちがやってきていました。私たちが住むエリアはどこへもhighway移動で、

車線の数も多くちょっと複雑な部分があって慣れないと混乱したりで、なので

練習のつもりで行き帰りを意識して私が積極的に運転するようにしました。


戻って来てから再び私は気合いれて絵の制作にかかります。相棒は再びゲーム

にハマっていて、その姿見ては”またか〜”でガッカリムッとしてしまう私ですが、

ここで思い直しました。このままムッとすればきっとこの一年ムッとし続けるに

違いない、ゲームして人に迷惑かけているワケでないし、たまにランチや夕飯を

作ってくれるし、ゲームくらいいいではないか〜と気を入れ替えました。


元日の夕飯は相棒のレパートリーの一つになっているポルトガルレシピで

タラをフライして、玉ねぎとパセリとニンニクをビネガーとオリーブオイルで

混ぜ合わせたソースをかけて食べるのですが、すっごく美味しいです!

ディナーのあとは、再び私は絵の制作、相棒はゲーム。


夜にはBBC制作の大自然をテーマにしたシリーズの「The Blue Planet:

Seas of Life」を二人で鑑賞して穏やかな夜を過ごしました。


小心者の一面がある私は今夜の1月2日に見る初夢は、どんなだろうかって、

時々うなされる夢を見るのでこれまた身構えていて気になるところでもあります。


今のところ大きな目標や計画はないのですが、とりあえず今年は公募展に応募

するのを皮切りに、機会があればアメリカの公募展を調べて応募していくことで

とりあえず作品の制作につなげていこうと思っています。


あとは、保留にしているパートタイマーなのですが、働かないアメリカの生活も

すっかり定着してしまい内心では正直働きたくはないのですが、家計を助ける

意味でもそうはいかないようです。NewBedfordの英語クラスに参加できるか

どうか4日にその結果が得られますので、それによってパートタイマーの時間を

検討していくつもりで、英語クラスが定員オーバーで参加出来ないようであれば、

午前中からの時間帯で探していくつもりです。


相棒は、オンラインによる英語教師に応募していて3日に面接を控えています。


相棒の頭痛も治まって、穏やかな年明け元日で過ごすことができましたが、

果たして2017年はどんな流れが待っているのでしょうか!



あの時の人生の不思議を振り返って2017/01/08

あの時の人生の不思議を振り返って

新年を迎えたここ数日の間、意識の中に再び舞い込んできたアメリカで

シェアする私たちの人生の不思議な時の流れに思いをめぐらせていました。


2012年8月から一年間住んだマサチューセッツ州の北東部にあるHaverhillから

2013年の8月にマサチューセッツ西端部にあるlenoxへ引っ越して3年後の

2016年8月にはマサチューセッツ南西部海岸に位置するここへ引っ越してから

一ヶ月も経たない26日後に転倒が原因で相棒のママが急死しました。


相棒がソフトウェアエンジニアから転職を目指し教師資格取得してからの

初就活は2009年がスタートで、その時に70校応募して面接通知ゼロでした。


その結果、日本へ移住するのを決断したのでした。


その3年後の2012年にアメリカへ再び戻るために100校応募して3校からの

面接通知を受け取った結果、幸運にも唯一1校からの採用通知を果たして

アメリカへ移住することが出来ました。

もしアメリカで教職の仕事が得られなければ相棒どうしていたでしょうか、

恐らく仕事なしではアメリカへ帰国することは不安で、その時点で就いていた

日本の中学校でのALTの仕事を続けて日本に留まっていたと思います。


2013年のアメリカでの再就活では150応募して10校の面接通知を受けて

相棒のママが住むマサチューセッツ州西端部バークシャー地方で唯一唯一の

採用通知を得られた時のこの現実は信じ難いことでまさしく奇跡だと思いました。

不思議なことにも、そこでの住まいは偶然にも空いていたママの住まいまで

車で5分の距離にあるアパートでした。

ママが住むレノックスには必然的に導かれた結果だったんじゃないかと思います。


それぞれの人生ってやっぱり生まれた時から決められたシナリオに導かれて

生きているのかもしれないと思うと、しみじみしてしまいます。



 2016年の再々就活で決まった教師の仕事でこの地域に引っ越してきました。

苦労してやっと得た仕事でしたが相棒は10月14日で辞めてしまいました。


では、なんのためにここへやってきたのか今はまだ何も見えません。

単にこの先まだある何かへの通過地点なのでしょうか、



空と海と太陽に毎日包まれたこの地での生活の中で見るもの感じるもの得るもの、

夕焼けが反射してオレンジ色に海面が染まるように、太陽の光と空色が水面に

反映されて尽きることのないその自然の豊富な色彩の美しさは見逃せません。

美しい色を日々目にしながら尽きることのない制作意欲に繋げています。


こう言うといかにも自然の海や山を描いているようなイメージになってしまう

かもしれませんが、ちなみに私は抽象画をやっています。


新年を迎えてからやっと滞っていた物事が少しづつ流れ始めたのでしょうか、

最初に申し込んでいた場所での英語クラスでの参加出来る連絡を得ました。

週2回だけですが、授業は各4時間もあります。もっとも考えていないところ

からの連絡ですが、来週から参加するつもりです。


人生の不思議で言えば、そもそも相棒とインターネットで出会って結婚に至り、

相棒のママとの出会いにも繋がっていき、たった四年間だったけどママと密に

過ごせたこと、色々あってもこうしてなんだかんだと一緒に生活している

相棒との縁も私の人生のシナリオの一つであって、

まだまだこれから先も人生の不思議が待ち構えているのかもしれません。



幸福を感じやすい私の脳は安上がり2017/01/10

幸福を感じやすい私の脳は安上がり

週末は一日中降り続き本格的な雪となり翌日にはドカーっと積もりました。

気温も氷点下12℃まで下がり日中も氷点下5、6℃くらいまでしか上がらず

かなり寒い寒い大雪を伴った寒〜い土日となりました。


月曜の朝は、さらに気温が下がって6、7時頃は氷点下23℃になっていました。


雪だ寒いからって家にこもっていたらもったいない、クロスカントリースキーと

スノーシューも持っているのだからやらない手はないと雪に反応する私の脳です。


吹雪く中を近くのビーチに沿ってあるグラウンドでクロスカントリースキーへと

繰り出しました。 相棒は日頃の運動不足のせいでしょうか、昔のような勢いは

なく慎重になっている様子がうかがえます。


前の住まいの近くにあったケネディーパークのような自然の森の中で味わうよう

な爽快さはありませんが、小さな小さな林の中には若干の起伏があったりして

十分な運動になって気分も良くなれました。


私の脳は安上がりなのか、運動するだけで幸福感に満たされています。


翌日は快晴の中、スノーシューを付けてパウダースノーの上をリズミカルに

サクサクと気持ちも軽やかにグラウンドを数周してみました。

短時間で結構な汗をかきます。これだけのことで達成感と気分の高揚が得らる

私の安上がりの脳であります。


単調な日課のウォーキングでは、いろんな発想を展開させながら歩きます。

いつもの見慣れた風景の中での小さな発見から得るイマジネーションだったり、

たったこれだけのことなんですが、心のバランスを保つのに役に立っています。


日常生活なんて同じような作業の繰り返しで退屈しがちであって、そうそう変化

は得られませんが、たとえマンネリ化した日常でも視覚からの情報を求めて外へ

繰り出して意識的に想像力を働かせるようにすれば結構、あっちこっちと転がっ

ているネタを感知したりで、全くお金をかけないでも刺激効果を得たりして、

なんて私の脳は安上がりにできているでしょ〜かと実感するこの頃であります。



切っても切れない他人との繋がり2017/01/14

切っても切れない他人との繋がり

私の人生の中に理屈では語れない人との繋がりを改めて実感しているのですが、

他人なら連絡を取らなければそれまでの関係で自然消滅していくものですが、

何故だか自然消滅しない摩訶不思議な関係性を持つ一人なのであります。


アメリカへ移住してから身内感覚で近況を聞くのに、ランダムに年に数回だけの

電話をしていました。その人はPCや電子メールをやらないので瞬時にあるいは

マメに連絡を取り合うことは出来ません。昨年、久しぶりに電話した時にその人の

お母さんが亡くなったことを知りました。その人には子供は居ないのですが、

お姉さんに子供が出来てからでしょか、自分の両親を婆様爺様で呼んでいました。

婆様が認知症になっても施設を利用しないで10年近く介護していました。


ある日、婆様が外へ出てしまって転んだ婆様を抱えて、再び転倒して不幸にも

その人までも骨折してしまい共に入院したのでした。 その人が二ヶ月で退院

してその後に、婆様はそのまま入院先で96歳で亡くなりました。


婆様は夫の爺様に妻として支え苦労してきた人生だったそうです。

婆様の口癖は爺様より1日でも長生きして開放感を味わいたいが口癖でした。

念願叶って、爺様が亡くなってから16年ほど経ったと思います。


その人も色んな事情の結果、親族とは孤立状態で悲しみを共有する人が居ません。

その優しかった婆様をよく知っている私に、介護は大変だったけど、今は寂しく

ってならないと言っては、しんみりと涙ぐんでいるのが伝わってきました。


少々へそ曲がりで性格的にも孤立しがちで60代になってからの一人暮らし、

その人の性格をよく知っているだけになんだか心配なこの頃であります。


昔むかしの話でも共有しあった物は大きく喜怒哀楽を心底共にした仕事の戦友と

は、どんなに時が経ってしまっても何か目に見えない深い絆のようなもので繋が

っているのかもしれません。 仕事の話とか聞くのは興味がありますが、それを

外れて一般的な話題になってしまうと例えば、よく知ってるねって感心するほど

詳しく政治の話やらを話し出すと止まらないような人で、これが始まると私と

しては面白くもなくウンザリ気分になってしまうのですが、今更知り合った人

だったら多分避けてしまうと思いますが、あ〜また始まったで聞き流しながら

耐えています。


4年もアメリカで暮らしていたら英語はペラペラでしょ〜とこれまたウンザリ

することを言います。20代でアメリカにやってきた訳でないからそんな容易く

ないよ〜確かにあなたよりは喋れるようになったとは思うけど〜と、、、

アメリカで生活していたら英語ペラペラでしょうとほとんどの一般的な日本人の

その英語コンプレックスには困ったもんです。

お酒を飲んでいる時など話しするとウンザリすることは度々で、ならば縁切りし

てしまえばそれまでのことなんですが、どうしても縁を切ることが出来ません。

理屈でなく切っても切れないなにか人間の絆で繋がった関係なんだと思います。


そして、23歳で登頂したマッキンリーのよき思い出が忘れられず、登山はもう

無理だけど、もう一度アラスカへ行きたいと情熱を込めて話をするのですが、

その人はとかく気持ちと実行が伴わないことが多くおそらく夢話のまんまだと

思いますが、もちろん本気で行く気があるのなら◯◯さ〜ん、お手伝いしますよ!


こうして、週一だけでも電話することで少しでも張り合いになってくれればと

とても小さな小さな事ですが陰ながら戦友として支えていくつもりです。