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陸の孤島で腑抜けてしまった私2017/02/09

陸の孤島で腑抜けてしまった私

育児をしているわけでない。孫の面倒を見てるわけでない。

キャリアを持ってバリバリ仕事してるわけでもない。

そんな何もないような私が夫の転職に連れ添って転々としたあげくの果て

行き着いたところがブリストル郡の陸の孤島のようなところだった。


一体どんな引き寄せで日本からマサチューセッツ州へやってきたんだろうか。

相棒との縁だけでわざわざ日本からアメリカへ移住するなんて、そうそう簡単な

ことでないはずなのに、何だか安易に時が過ぎているような気がしないでもない。


MA州は14郡で成り立っていて、渡米した初めの一年はエセックス郡の

Haverhillで過ごし、その後バークシャー郡のLenoxに3年住んだのちに、

ここブリストル郡へ引っ越してバタバタした半年があっという間に過ぎていく。


正直な話今の私、電池切れ状態で時計が止まってしまったような脱力感にある。

ここのところ日々の張り合いのなさに腑抜けてしまったような気力のない自分。

それとも私の筋書き通り中身のない安易な生き方の末に行き着いた先なのか、

そう思えばこの現象も私に限ってはありえたことなのかもしれない。


バークシャー郡のLenoxでの3年間は相棒のママとの深い交流がどれだけ

アメリカ生活での張り合いと支えになっていたんだろうか。

相棒のママが居なくなってからその何気ない日々の大切さを実感している。


先生に恵まれて英語クラスも個人レッスンも楽しく休むことなく通っていた。

住まいの周りでは軽く挨拶を交わす顔馴染みの人たちとの交流も普通にあった。


バークシャーに定住している日本の人たちとのさりげないたまのお仲間入りの

交流の場は、アメリカ生活では格別なものとなって極上の息抜きの場であった。


気分転換でいくNYCへは住まいから歩いて3分でバスに乗って気楽に行ける立地

条件の良さは誰も頼らず一人で行動できるその自由な感覚が何か強みでもあった。

Lenoxでは、取り残されたような感覚でポツンとすることがなかったと思う。


一人でも平気だって言っていた私、確かに一人でも平気なんだけど、

車のない生活がこんなにも不自由だなんてアメリカ生活で初めて実感する日々。


初めて住んだHaverhillでは、列車が走っていてボストンには一時間で行けた。


ここはバス路線もなければ、対岸の町に行くのには車だけの高速の橋があるだけ。


朝のウォーキング、犬の散歩、料理、掃除洗濯、これだけの繰り返しだけで

1日はあっと言う間に過ぎていく。この間、英語の本読んだりブログ書いたり

絵の制作したりするけど、何気ない日常の何かが欠けてしまうと心にすきま風が

吹き込んでくる感じが隠せない。やはり何かが欠けてしまっている。


サイエンス先生のパートタイマーの仕事をするようになってからランダムに

出かけるようになった相棒。 家計の手助けで私が仕事をするために

一時帰国から戻ってきたら車をもう一台買おうってことになってるけど、

たとえ私がパートの仕事に就けたとしてもそれこそたかだかの収入なわけで、

中古車代を超える収入を得るには何年かかるのだろうかって

生活レベルの低さに我ながらため息が出てしまうようだ。


どんなこと言っても、その生活のレベルの低さを含めて全てに甘んじて

いるような私のどうしようもない私自身の問題であるのも事実なのだ。


あ〜ネクラな気分にくわえて明日は猛烈な吹雪予報になっている。

これで外にも出れないようならもっと最悪な気分。