いつかは通る道に覚悟するこの頃2019/09/06

いつかは通る道に覚悟するこの頃

あ〜気がつけば、、、随分とブログから離れてしまってるわ〜です。


母が入居するグループホームの事務長さんから、母の体調の報告を受けました。

痰が絡んでいて食事をとるのが困難で、熱もあり点滴を始めたとのことでした。


その次の日に医者でもある院長の往診を受け、酸素飽和度が低いので、

在宅酸素機械で1ℓを実施する状況が12日間ほど続きました。


熱は1日で下がっていたのですが、酸素療法が続き...心配は尽きず

毎日施設に電話を入れ母の様子を聞いていました。


12日ほど経過してようやく酸素機械の使用中止となり、重湯形態で、

朝・昼・夕完食したとのことで、とりあえずはホッとしているとことです。


昨年の同じ頃、同じ症状になった母でしたが、今回も危機から脱してくれて、

3週間ぶりのスカイプでいつもの母に会うことが出来ました。


83歳でアルツハイマー型認知症と診断されてから10年が経ちます。

昨年から車椅子を使用するようになりこの段階で、全介助となった母でした。


〇〇さんと名前で呼ぶと、分かるようで相手の顔を見ながら反応して、

あとは独語が続きます。担当の人とスカイプしている間も何かを喋って

いるのですが、もちろん何を言っているのか分かりませんが、

これがこれがなかなか力が入っていてエネルギッシュな母を感じます。

しかし、90歳過ぎていて、いつなんどき急変してもおかしくありません。

もしもの時の緊急事態に出来るだけ早く対応しなければならないという

緊張感が続きます。


やはりこれも10年経ちますが、絶縁状態の兄が居て... 叔母から母の居場所を

聞いたようで、月1ホームに兄夫婦で面会しているそうです。


その話は随分前にその当時の事務長さんから、来てることを言わないで欲しい

と言われていますが、一応伝えておきますということで聞きました。


兄にとっても親なのだから当然でしょうと思うくらいで、それ以上の感情は

何もありません。

遠くアメリカに住んでいる私ですので、母の緊急時にはどうしたって施設側は、

心配が尽きないのも事実であると思います。

入所当時から緊急時は、出来るだけ早く日本へ戻ることを約束しています。

その時が来たらと、、葬儀屋さんにもすでに話をして承諾を頂いています。


お墓を永代供養で移動した事を叔母が兄達に言うと住所を聞いたそうです。

こうして叔母から私の情報は一方的に伝わっているだけで、兄達自身は何も語ら

ないようなので 母の緊急時に、、兄夫婦がどう考えているのか分かりません。


私としてはこの10年間、母のこと家のこと先祖のお墓のことなどを一人で

判断して実行してきたように、これからのことも一人で対応するだけです。


私はこのままアメリカに住み続けると思います。

母が居なくなった後は、家の処分を考えるようになると思います。

しかし、家に関しては私だけではどうにも動かせません。

やはり10年前に、父名義のままの家の名義変更の手続きを司法書士さんを

通して揃えた書類を同封してサインをしてもらうのに兄宛に送ってもらい

ましたが、そのまま無言で返送されてきたのでした。

そのまま放っておけば自動的に兄夫婦の子供達のものになるのでしょうから、

推測するに、、、そういうことだと思いますが、それまで一体誰が固定資産税を

払っていくのでしょうか、、、


義姉との相性が良くないと、よい兄妹関係がとれず疎遠になるのも仕方ない

のかもしれません。そもそも私たち兄妹の相性すら良くないんですから

尚更だったのかもしれません。

もしも義姉と私の相性が悪くなかったら、もしかしたらマシな違う

展開になっていたかもしれないと思うのですが、

私としましては、兄妹、義姉運に恵まれず、残念なことでした!!!


いつかはやって来る母の終末期、

その時はアメリカから日本へ出来るだけ早く向かわなければなりません。

そんなプレッシャーを感じますが、そんなこんなも含めてある意味で

難儀とも言えるような性格とそんな生き方を選んだのも私自身であります。