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今、日本の空は何色?2017/04/16

今、日本の空は何色?

日本入りして一週間近く過ぎました。

懸念されていた15日の日本の空はとりあえずコトは起こらず...

青空を維持してくれました。


二週間ばかりの日本帰国中は慌ただしくいつもバタバタしてしまい日本滞在を

楽しむ感覚には程遠いようないつもの私の滞在中の過ごし方であります。

それに加えて今年のこの時期はとんでもない情勢にさらされているようです。

なので、いつもに増して慢性的疲労感に悩まされたような日本滞在であります。


6月で渡米5年目になるのですが、個人的にも今年は今までにない動きがあります。

母方の方の従姉妹たちが九州から私と私の母に会いにやってきました。


これを機に従姉妹たちと一泊で長瀞へ小旅行へ行く機会が持てました。

子供の頃に1、2度だけ会ったきりなのですが、母たちからなんとなく聞いて

いた話題が記憶に浸透しているので会わなくてもどんなに時を経ていても

親戚というだけで直ぐに溶け込むことができるもんなんですね。


母のきょうだいは88歳で亡くなった長男を除き全員がなんと健在であります。

しかも、一番末っ子の弟79歳、長女91歳の母に続いて全員80歳を超えた4姉妹、

認知症は母だけでみなさん揃って珍しくも元気で長生きです!


こうして今回疎遠だった従姉妹と合流してこれまで実感の伴わない従姉妹同士の

距離が時を一気に超えて一気に縮まるような、ほのぼのとした従姉妹関係の

見直しが出来た今回の長瀞への小旅行はとても実りあるものでした。

何かほのぼのとしたこうした意味合いを噛みしめることができる今を思うと、

ある反面こうして年を重ねてゆくのもまんざらでもないのかもしれません。


今年はいつもになく桜の花を観賞できました。

春の訪れを告げてくれる桜は格別に美しく、私たち日本人にとって

その美しい桜に特別な思いを寄せながら本当に心安まる瞬間です。


表面的にはいつもと変わらず何事もないような平和なひと時に身を任せて

過ごしていますが、間近にある情勢は騒々しく気持ちが休まりません。

一体これから何が起ころうとしているのでしょうか!?

危惧していることが現実にあってはなりません。いい加減にしろです!!!

いつもより自衛隊機がやたら飛び交う日々…

テレビが見れないのでネット情報から目が離せません。


長瀞の空の下、懸念されていた15日の日本の空は青空を維持してくれました。


いつの時代も人間の本質は変わず歴史は繰り返されるわけで...

一部の人たちにとっての利益のためにどれだけの犠牲を払えというのだろうか、

決してあってはならないことです。



命の森を歩き続ける老犬2016/04/29

命の森を歩き続ける老犬

アメリカへ戻る前日、ベルちゃんのお散歩に便乗してやってきたこの小さな森へ

入った途端、びっくりするほどの新緑の香りが五感に押し寄せてきました。

癒しと安らぎが凝縮されているような心地よいこの森の空間での森林浴は、

何か格別なものを感じたりで ちょっとした穴場になっているようです。



800Mのこの森の中のコースを散歩の日課にして14年目になるそうです。

高齢になったベルちゃんのペースに合わせて45分かけたお散歩では、

健気に歩き続けるベルちゃんの姿を見ているだけでも癒されました。

時々後ろ足がもつれてしまい、よろめきながらも前へ前へと歩き続ける

16歳のベルちゃんですが、充実感に満ちて十分に楽しんでいる印象でした。


この森には何か不思議なエネルギーがみなぎっていているような感じがあり、

ベルちゃん、きっとこの森で命の源の元気をもらっているのだなと思いました。





赤坂の森にて



も〜ね、かあさんの味に勝るものなし2016/04/22

も〜ね、かあさんの味に勝るものなし

あまりにも日本食に飢えていることをブログにしているからでしょ〜か、

私の胃袋に届けてくれた、四人のかあさんの心に染み渡る手作りの日本食、

目で見て味わい食べる幸せ感を堪能することができました。。



滞在二日目にシュナウザーのベルママが届けてくれた手作りお弁当。



 16歳になったベルちゃんのママにはすっかり甘えっぱなしです。



 滞在1週間目にシュナウザーのミルクママが届けてくれた、

筍のおにぎりと手作りのお惣菜。来年こそはハイキング実現させましょうね!


面識のない二人ですが、偶然にも愛犬は共にシュナウザー。



15年振りの再会に友人が届けてくれた手まり寿司と筍ご飯と蕗などなど。

亡くなったご主人の写真と共に久しぶりの談笑で過ごすことが出来きました。


そしてそして、すでにスーツケースに入れてしまって画像はないのですが、

昨年らっきょを漬けてアメリカへ送ってくれたお友達が、

らっきょうを再びタッパいっぱいに持たせてくれました。


それぞれに出来る人たちの共通点は人を動物を愛してやまない心の持ち主。


料理上手でおもてなしが好きだった母、美味しいと喜んで食べてくれることが、

私も嬉しく幸せだとよく言っていたのを思い出します。


心尽しの
日本の伝統の味わいを届けてくれてありがとう!





眠れぬ日本2016/04/17

眠れぬ日本

熊本被災地の皆様、心よりお見舞い申し上げます。


私の両親は九州の久留米出身であり、私も6歳まで過ごした地であります。

母方の親戚が今も暮らしています。被害が拡張しないことを祈るばかりです。


不気味な恐怖感の渦の中に放り込まれているような心境になったりしています。


一年空き家状態で放されてしまった大きな古屋の中では時計も電池切れで、

時が止まってしまったような空間で一人で過ごす一時帰国は快適さには程遠く、

心身休まらないままに日々を過ごすことを課せられているようであります。



そんな中、最も楽しみにしていた今日の秩父地方でのハイキングでした。

帰国4度目でようやく行楽へ行く気分になれた今回のお楽しみごとでしたが、

今日の悪天候予報のために残念ながらキャンセルとなってしまいました。


帰国してから眠れない夜が続いています。ベッドの中に潜って、夜が明けるのを

ひたすら待っているという状況です。小刻みな睡眠でなんとかもたせている

状態で、一日中何かに追われる気力だけに支えられて日々をかろうじて

送っている感じがあるだけです。


帰国したその日も強風にあおられてこれで、3度目となりました。


電源を入れぱなしのiPadから連続してYahoo災害メールの地震通知の受信音

が耳元に不気味に届いてきます。明日は我が地、我が身っと言っても過言でない

くらい地震の巣の上に生活している日本人の私たちです。

今はアメリカを拠点に暮らしてるとはいえ、私にとっても切っても切れない

大切な大切な故郷であります。


うねるような強風に古い家の雨戸がガタガタとひっきりなしに音を立てています。


今日のハイキングは取りやめになりましたが、それに変わってその仲間たちと

長いランチで過ごすことになりました。

お昼の時間までまだしばらくあり、こんな時こそひっきりなしにある家の整理

なのですが、この天候ではやはりイマイチやる気になれません。



P.S.

相棒は金曜日から久しぶりのヒドい偏頭痛に見舞われて、起きれない状態が

続いています。オータムの短い散歩だけ済ませてあとはベッドの中で痛みに耐え

ながら静かに過ごしているようで、 明日には復活できることを願うばかりです。


と、ここまで書いて保存しようとした途端、ネットの繋がりが切れて

丸ごとそっくり飛んで消えてしまいました。(涙) ルーターをレンタルしているのですが、

これが容量が少ないようで途中で切れてしまうという不安定さ。

数日前も銀行手続きをしていた最中に切れてしまい焦ってしまいました。


なんと、信じられない事に再びここまで書いてまた飛んでしまいました。

これはこれはどうした事でしょ〜か!今朝は時間があるから良かったのですが...

あ〜、芯から休まらない私の毎年の一時帰国なのであります。



切ないね でも永遠に変わらぬもの2016/04/16


年に一度の一時帰国で目にするあらゆるものなんですが、こうもしみじみと深く

心に入ってきたり、刻々と変わりゆくモノに感傷的になりがちになったり、同時に

自分になぞらえるように年を増していくその流れに敏感になったりしています。



今回の訪問では、全く娘の私が認識出来なくなってしまった母でした。

完璧に自分の世界に没頭している様子の母は、拍子を取るように、

何か同じことを口ずさんで繰り返し唄っているようでもありました。

生きるための最低限の日課ごと、食べる・排泄・歩くなどは

まだ幸い自分で出来る能力を維持して元気にしています。


新設されたこのグループホームも私の渡米と時を同じくして6月で4年目を

向かえることになりますが、母と同じ2階に住む顔なじみの二人の利用者さんが

亡くなっていました。時の流れとはいえ、なんとも寂しいものです。


新しい利用者さん2名が新たに加わりました。事情は分かりませんが、

お一人の方は認知症がないにも関わらず利用されていました。

とても目の行き届く方で、他の利用者さんのことを知り尽くしスタッフの

一員のように面倒を見てくれるそうです。今までにないその人の働きかけで

場が和んでいくような雰囲気に、なんだかほっとする感じでした。


まだ入所されて数ヶ月のもう一人の方は、施設に馴染めず、カバンと帽子を

持って、ここには居られませんので帰らなければなりませんと繰り返し繰り返し

おっしゃっていました。黒のスリムなジーンズでその年代の人にはありえない

ようなハイセンスな活動的な出で立ちの方ですが、驚くこと、おんとし93歳、

絶対に見えないそのその若さにはびっくりしてしまいました。

自由に自分のペースで独身で生きてきた人で、ここに馴染めないんだろうと

その世話役の利用者さんが言っていました。

そんな方でも認知症になってしまうなんて、なんて切ないことでしょうか。


こうして時の流れはそれぞれの形で容赦なく人を衰退させていきます。

長〜い過去を生きて来たそれぞれのお年寄りの現在に接して、

切なくしみじみしたものを感じてやまないのは私だけでしょうか。


従姉妹と久しぶりに食べた、天保3年(1832年)から続く川越にある

老舗のウナギをしみじみと味合ってしまいました。184年も続いている

日本人の食文化の味わいの一つとして永遠に受け継がれていくのでしょう。


それぞれの中に在るモノコトヒトの流れ、消滅していくもの 受け継がれて

いくもの、それらのしみじみとしたそれぞれの五味を味わうように吸収して

何かに還元していけるようにいつまでも感性豊かでありたいなと思うんですがね。


そういった意味でも、ちょっと贅沢な鰻を食するのも五感にいいのかも。