出発地点と目的地点の狭間で2013/07/18

新天地への関心は子供の時から始まっていたような気がする。

卒園した3月に父の東京転勤で家族全員が福岡から列車に乗って

新天地の東京へ大移動した。

東京駅につくころビルがそびえる空を初めて見てまだ6歳だった私の

小さな胸が高鳴っていたその情景が今でも目に浮かんでくるようだ。

福岡県(久留米市)に生まれて→

東京都(小平市)→ 埼玉県内へ家族と共に引越し。

私自身の経路は、下井草→高円寺→ひばりが丘→武蔵小金井→両親の家 →

狭山ケ丘→東村山→立川→飯能→両親の家→

横須賀→両親の家→

そして、アメリカ(Haverhill)→アメリカ(Lenox)

こんな感じで転々と流浪している私は自分の故郷を熱く語ることが出来ない 。

馴染みの人々、馴染みのお店、馴染みのいつもある風景がせいぜい数年で

過ぎ去っていく過程に地元意識が定着していかないのだ。

ある友人が私に言ったことで、サメはけっして止らないらしい。

あんたはサメのようだ。

サメや回遊魚が止るときはそこが終焉の地になるらしい。

そして去る者は追わず、来る者は拒まずは私の人との付き合いの基本形なのだ。

ある意味こんな強がりみたいなこと言っていると、

年齢とともに孤立したような寂しい境地にさらされるかもね。

例外を別として、決して物事、人を否定しないないところから入っていく。

新天地で自分の居場所を作っていく方法として身に付いてきたのかもしれない。

何事にも例外はあるのだ。

アメリカで生活するようになった私はやっと自分の故郷が日本だと

素直に思えるようになってなんだか嬉しく誇らしくなってきたのだ。

やっと、これからの人生からこそ新しい幕開けの展開になっていくのかも。

そんなこんなこと言えちゃう私はやっぱり、相当に脳天気かも。


  
ブログランキングならblogram Welcome! please click! にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村