母の記憶から娘は消えても2015/04/11

母の記憶から娘は消えても
昨日、母の面会1日目を果たしました。アメリカへ移住する同じ3年前の6月に

スタートを切ったこのグループホームで生活を始められた人たちは私にとっては

母を含めて日本での家族のようなもので第二の故郷にもなります。

こうして日本へ帰ってきて顔馴染みの人たちの元気そうなお顔を拝見すると

本当に心からホッとして嬉しいものです。ともかくも心配が尽きない状況下の

不安定な施設の態勢で暮らす人々の全体の様子を見逃すことは出来ません。

唯一開設当初からの見覚えのある男性職員の方とお会いし挨拶を交しましたが

残念ながらあまり話をする感じの人ではありませんでしたが唯一続けられている

ことを思うと どうあれ私としましては それだけでも感謝で嬉しい印象です。

あとの顔馴染みの人たちは見事に消えてしまっていました。頼れる尊敬出来る

親分の居ない職場の悪環境下では これも致し方ないことだと思います。

まだ人員不足のようでスカイプ担当の事務員さんを含めて皆さん新入りで余裕が

なくバタバタとお忙しそうにしていました。今年は花見にいかれたのかスタッフ

の方にお聞きしたところ行っていないと正直にお答え頂きました。ま、態勢に

余裕がないのでしょうから無理くりに決行されるよりか正解だと思います。

私も腰を据えて今後を見守りたいと思いますのでスタッフの皆様にはなんとか

頑張って頂きたいと願うばかりであります。

ちょうどお昼ご飯の時間帯になるのでコンビニでノリ弁当を買ってお昼を一緒に

食べました。 食当係の人が私の分としておかずを差し出してくれました。

サワラの焼き魚とポテトサラダと卵スープが献立でした。美味しかったです。


私がアメリカへ移住してからの3年間で随分とアルツハイマー型認知症が進行

しました。 昨年までは会って話をしているとだんだん思い出して私を認識して

いましたが 今回はどう話をつっついても全く分からなくなっていました。

他人になりすまし話を進めていくと 父のことは覚えていて性格まで言い表して

いました。昔の九州男児典型で男尊女卑、亭主関白の父でした。そんな男でも

同世代で同時代を生きてきた一般的な母にとっては大切で愛する夫で母の生涯に

おいてはそれほど大きな存在であったことを証明します。

そして巣立っていった自分の子供達の記憶は全くなくなってしまっていて目の前

に居る娘の私も何故か死んでしまっているのでした。母の兄妹で長男だけが88

才で亡くなっていますがあとの4人の兄妹みなさん今も健在なのですが母の中で

記憶がなくなってしまった人たちは全員が死んでしまったことになるようです。

娘の名前すらも記憶から消えてしまいましたが短い時間の中で直に触れ合うなにか

言葉を超えた心地よさを感じる私ですので きっと母もその瞬間何か感じ取って

いたに違いありません。歌う母を見るのは私にとっては珍しいことなのですが、

『南国土佐を後にして』を食後に 私この歌大好きと何度も繰り返して力を入れ

て歌う母でした。 去年までは腰も曲がっていなかったのですが、職員さんに手

を引かれてトイレに行くその姿でしたが まだまだしっかりと歩こうとする母の

気丈さが感じられました。今年の11月には90歳になるのですが認知症以外は

持病がない母です。認知症になっても感謝の気持ちを忘れていない素晴しく幸せ

な母の人生だと思います。

こうして母と同じ三年前からの顔馴染みの利用者さんを含めておしゃべりした

2時間ばかりの楽しいひとときを過ごしてきました。 時は容赦なく流れていく

のですが、母はもちろんのこと皆様お元気にお過ごしくださいませ。



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