初恋の人は青い目の外国人だった2015/02/24

初恋の人は青い目の外国人だった
先日、一年振りくらいにノーマンロックウェル美術館へ行った時のことです。

確かに見覚えのある顔で、まさかこんな所でお目にかかるなんて思っても

いませんでした。なんとその人は私の初恋の人ではありませんか〜。

↑download picture David McCallum

何故ここに?その驚きと嬉しさが交差する不思議な感覚になりました。

それほど私にとって大好きな大好きな大好きな初恋の人だったんです。

今回初めて観たSaturday's People(1966年)と題した作品の中で顔をこっちに

覗かせるように描かれていました。この絵の中には当時人気を二分するビートルズ

のリンゴスターも描かれています。何故ジョンレノン、ポールマッカートニー

あるいはジョージハリスンじゃなくってリンゴスターなんだろうかと、

もしかしたらノーマンロックウェルはマッカラムも含めてファンだったのかも

な〜んてそんなこと考えながらノーマンロックウェルを身近に感じてしまった

一瞬でした。


このMoving from left to right:のメンバーに有名人11人が描かれています。

John Lindsay, New York City Mayor

Maria Callas, Soprano

Sean Connery , Actor

Van Cliburn, Pianist

Ringo Star,The Beatles

Prince Philip of England

Nelson Rockefeller , New York Governor

Jonathan Winters ,Comedian

Leonard Bernstein,Composer/Conductor

Tallulah Bankhead ,Actor

David McCallum, Actor(Man From U.N.C.L.E)


↑download picture

古い世代の人たちにはお馴染みだと思いますが アメリカTVのスパイドラマだった

0011ナポレオンソロのイリヤことデヴィッド・マッカラムなのですが、

小学生の時に人目惚れした私の初恋の人でした。



と言う訳で、初恋の人は青い目の外国人で、それから随分の年月が過ぎ去り

三度目の結婚相手はなんと青い目の外国人だった〜

青い目に始まって青い目に落ち着いたってことでしょ〜か。

↑download picture

現在、81歳になるDavid McCallum(若い〜)


私の戯言をお聞きいただきありがとうございま〜す。



渡米2年目きょうの気持ち2014/06/21

渡米2年目きょうの気持ち
愛犬ジャズと渡米してJFK国際空港で無事だったジャズを感動的に抱きしめた

のが2年前の今日でした。
私の空港での移住ビザの手続きよりも何よりも

ジャズの身を案じてニューヨークの地に降り立つまでの長ーい1日でした。



→ 成田発→ニューヨーク行。 2012/06/20

相棒のお兄さんが住むブロンクスに立寄りそれからママの住むこのレノックスに

向かい夜の11時に無事到着した日でした。
一ヶ月ちょっとバークシャー地方の

グレイロック山に近いキャンプ地のトレラーハウスで過ごしました。ジャズとの

朝の散歩道でクマに遭遇したり刺激的なアメリカでの生活の始まりでした。



→ マサチューセッツのバークシャー地方でトレーラーハウス生活

7月いっぱいでトレーラハウスを去りママの住むレノックスに一泊してから

2人+ジャズとで私たちにとっての新天地へと向ったのでした。

→ マサチューセッツの小さな町で

渡米してから9ヶ月後にこの町で突然ジャズは逝ってしまいました。どうにもなら

ない気持ちをはき出していくつもりでブログはじめました。それから去年の8月

にこのバークシャー地方のレノックスへ引越してきました。慌ただしい2年間で

した。この2年間で私の英語力の方はどうかと言ったら2年前よりは聞き取りも

出来るようになったと思います。1年も暮らせばそこの土地の言葉はかなり身に

付くもんだと思っていた大昔でした。それには過ごし方と個人差とがあると思い

ます。もともと会話力がない私のレベルではそんな甘いもんではないようです。

1年前のブログを見返すと、アメリカ移住1年目について書いていませんでした。

1年前の今日は就職活動の真っ只中でそれどころではなかったようでした。


→ 就職活動中 嬉しい悲鳴と忙しさに悲鳴

ブログには本当に手を出さないようにしていたのですが今ではネットダイアリー

にこうして日々を綴って記録していくこで過去を明確に振り返ることが出来るの

でブログを始めてよかったのかなと思っています。そもそも子供の頃から日記や

らペンフレンドやらで書いたりすることが習慣的になっていたのでこうしてブロ

グで日々を綴るこはそう苦痛ではないようです。1年の時の流れはとても早いも

のです。来年の今日20日はどんな状況の中でブログを綴っているのでしょ〜か?

(UV79)



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11才の少年が経験した愛犬の死とその後...2013/09/11

少年が10才の時にやってきた子犬にバドワイザーと少年が命名、愛称Buddy。

バディが1歳の時の出来事で、リードなしの散歩中に通りを走りだしトラックに

跳ねられて即死したのだった。 愛犬の事故死を目の当たりにした少年の並みな

らぬショック状態を見ていた近所の人が、たまたま生まれた子犬がいたらしく

その少年に譲ってくれたそうだ。

その少年はその犬に同じ名前のBuddyと名付けたのだった。

そして、そのBuddyはその後、12歳まで生きたそうだ。


その11才の当時の少年はサンドイッチのことで、この話しはつい最近彼のママ

から犬の話しをしていた時に初めて聞いた話しだった。

今年の3月、私が日本へ帰国した次の日、朝起きた時に見たジャズの急死に

大ショックを受けたサンドイッチだった。 大の男が毎日泣いて泣いて泣いて

ジャズへの想いを綴っていた。 そして私にすぐにNew Jazzを飼おうと提案して

きたのだった。 もちろん犬好きの私は反対する理由はなかったけど、まだ受け

入れ態勢でなく突然のことで実感として考えることが出来なかった。 同じ

ジャズって名前にする?と聞くので、私はジャズでない名前がいいと思った。

ジャズが急死した時に過去の11才の少年の心がフラッシュバック していた

彼のその時の心情がよーく理解することが出来きたこの過去の話しだった。
そして、11才の少年の心に受けた甚大なダメージを癒し立ち直らせてくれたの

も二代目Buddyの存在だったのだ。

どうして話さなかったか分からないと答えたサンドイッチだったが、小さい胸で

処理することが出来ないくらいあまりにもショックが大きい経験で胸の内にしっ

かりとしまい込んでしまっていたのだろう。

サンドイッチのパパが大の犬好きでいつも犬の居る生活は普通だったらしい。

これは私も同じ環境で育ってきている。 家族の一員として暮らしたペットを亡

くすことは本当に辛い。 月日、年月の流れで居なくなった家族の環境に適応し

ていくのも私たちに与えられた適応能力だ。 適応していく時間は人それぞれで、

一ヶ月で適応出来る人も居れば10年経っても適応出来ない人もいる。 辛いこと

悲しいことを経験した心の傷痕は生涯消え去ることはないけれど、 ペットと暮

らすこと生きている事のすばらしさも知っている私たちだからこそ新しい命と

新しい関係に2倍も3倍もの愛情を注ぎ向き合うことが出来るのだと思う。
ジャズを失って今だ一度もジャズが夢の中に出てこないのに、昨夜の夢に出て来

たジャズではないボストンテリア。私は9月に生まれてくる新しい命の候補の

名前で呼びながらその犬と戯れている、そんな夢を見たのだった。

漸く新しい命を受け入れる心の準備が私にも出来てきたように感じた日だった。



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マサチューセッツのバークシャー地方でトレーラーハウス生活2013/06/02

自然に囲まれた避暑地なので朝晩は気温が低く寒いくらいだった。
このバークシャー地方はニューヨークとボストンから車で三時間くらいのところにあり私達が過ごしたトレラーハウスがある地域は山脈や湖などに囲まれたリゾート地の一つ。

サンドイッチのママが住むレノックスまで車で30分のところであった。

去年、日本から予約を入れていた6/23〜7/31まで一ヶ月ちょっとを

渡米してから仮住まいとしてここで生活した。

サマーキャンプの一ヶ月の仕事にサンドイッチはここから通った。

私とジャズは壮大な自然の一角で光と陰の豊なハーモニーに日々癒されながら芯からリラックスしてまさに命の洗濯をしたって感じのときだった。

ある朝、野生ラビットが目の前で朝ご飯を食べに現れた。

私の好きな映画の一つで、それは”ミス. ポター”のピーターラビットを見るような光景であった。そして野生のリスはいたるところで見ることが出来る。

朝の散歩で熊と遭遇したおっかなかった話も今では懐かしい。

熊は山へ帰ろうと丘を登っていこうとしていた時に私たちの気配に気が付き目と目があってしまった。そこまで少しだけ距離があったので静かな急ぎ足でジャズとトレーラーハウスへ戻って行き、熊は私たちに興味を示さず山の方へ帰っていってくれて事なくすんだのだった。ジャズは吠えないのでそれが幸いしたのかもしれない。

アメリカへ来て24時間フルでジャズと過ごす事が出来た幸せな日々を思い返す。

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始終ナーバスだった、成田発→ボストン行き。2013/04/122013/05/30

このボストン行きのチケットはアメリカへ戻るために手配したチケットで20日のエア•カナダのトロント経由ボストン行きの予約を急遽12日のデルタ航空デトロイト経由ボストン行きに変更した。長く一人で過ごすことを望まなかった。

やはり出発当日心配がよぎった。北朝鮮がミサイルを何機も同時に発射させる可能性があると報じられ緊迫している頃で、私の乗る飛行機がたまたま運悪く撃墜されるかもしれないなど内心懸念を抱いていた。

デトロイトでの乗り継ぎは5年前くらいに予定の便が遅れて結局最終便でなんとかボストンへこぎ着けたという苦い経験があったのを気にかけていた。

事前に時間に余裕を持って乗り継ぎ便を予約していた。しかしデトロイトからの乗り継ぎ便は予定時刻をとっくに過ぎていった。 その間、目の前に見える私たちが乗る予定の飛行機を脚立に乗って何やら調整しているのが見えた。この飛行機大丈夫なのだろうかとかなり神経衰弱のような状態になっていた。結局2時間ほど遅れて離陸、その飛行機の車輪がサンドイッチとジャズが待つマサチューセッツ州の大地に着けた時はホッとした。

帰途につき、そこに待っていたのは遺灰になって小さな木箱に入ってしまったジャズだった。それからどの位置で息絶えていたのかサンドイッチに確認した。 ソファの左端がジャズの場所であった。ソファの中央部分にオシッコで濡れた形跡があった。それからジャズは力を振り絞って右端に移動したと思われる。

そしてソファのもっとも右端でドアの方に頭を向けて目を開けたまま息絶えていた。ジャズにとっても予測していなかった事態に見舞われたんだと思う。

何もすることが出来なかった私はそのソファの位置に顔を埋めてそこにジャズを想像して感じるようにして号泣するだけだった。そしてジャズの遺灰が入った木箱を抱きしめてサンドイッチと二人で号泣した。

渡米してから9ヶ月と5日過ごしたジャズは、ボストンテリアのルーツになるこのマサチューセッツ州に永眠した。

曰く付きオープンチケットっだったのだろうか。

成田発→ニューヨーク行。 2012/06/20

NYへの直行便は一度は飛び立たちトラブル発生で成田へUターン。

二度目の離陸で無事ニューヨークに到着し、元気なジャズと再会したその感動はひとしおであった。

ボストン発→成田行。 2013/03/24

しかしその往復チケットで成田に着いた時間のころに私はジャズを失った。それがジャズの寿命だったんだではどうしても納得が行かない。何故元気だったジャズがそんな流れの末に死ななければならなかったのだろうか。何故私が留守にしたとたんに、何故死ななければならなかったのだろうか。何故ジャズは数日前でも数日後でもないその日に死んでしまったのだろうか。日本のかかりつけの獣医さんに尋ねてみたところその死因は断定出来ないけれど恐らく急性心不全だろうと言っていた。

ジャズはワクチンをアメリカで1月と2月に受けていた。その時日本ではなかった接種後の筋肉の痛みを発症していたジャズだった。二回とも3〜5日くらいで痛みは完治していたが初めての痛みだったので心配した。もちろんそれが原因ではないと思うけどワクチンの賛否について頭が過ったのも事実だ。

ジャズが居なくなってからずっとそんなことを繰り返し考えている。

そしていつでも涙が溢れてきてしまう。ソファーに座ってギターを弾いた。いつも横にジャズが居てくれた。途中で涙が溢れ出し弾く事が出来なくなった。それから毎日練習していたギターも弾いていない。どうしようもなく悲しくなる瞬間がある。そこハマってしまうといつまでも涙を流してしまう。その繰り返しの日々だ。 動物や犬を愛する人たちとって動物や犬の愛しさは格別、私たちの心をこころから和ませてくれるその存在の大きさは計り知れないだけに失った時の悲しみも計り知れない。

愛しい愛しいジャズをもう一度この胸に抱きしめたい。