アメリカのバスBRTAに乗って隣町へ 通いながら感じる国民性の違い2013/10/24

隣町の英語クラスに通うためにバスを利用するようになって2週間が過ぎる。

初めての利用はクラスに参加するのにボランティア担当の人との面会の時だった。

目指すは終点駅でこの町は車でよく通るので知っていてそこから図書館まで

歩くつもりでいた。 事前にバス停にある値段表示を見て確認したつもりでいて

片道1ドル25セントだと思いきっていた。きちっと揃えて乗り込で行き先を言

ったら2ドル50セントと言われ、えっ〜!と思いながら慌てて財布から追加分

を出したのだけど、どうにも納得出来ず、バス路線がどこで停まるのかまだ分か

っていないので運転手さんに隣町の図書館へ行きたいのだけど、その近くで降り

たいと言ってみたら今度はトランスファーカードを渡してくれたのだった。

頭はすっかり片道1ドル25セントのつもりでいたので(相棒にも一応確認して

いたのでそう思い切っていたのだ〜)終点に着くまで考えて、凝りもしない私は

降りる時に運転手さんに図書館への行き方は知っているので、もしここで乗り継

がなければ片道1ドル25セントを返金してもらえるのですか?。な〜んて言っ

てしまっていたのだ〜。今思えばバカなこと聞いていたんだなと思うけど、

分からないものは分からないのだ〜! 要するにレノックスから隣町は市外にな

るので2ゾーンになるってことがやっとこの時点で飲み込めたのだった〜。

こっちのバス事情はほとんどが定刻通りではない。自転車を積んで乗り込む人も

居たり、バスに乗り込んでから慌てる様子もなく財布を取り出し開けてお金を出

す人も居たり、私みたいな外国人も居たりでなんだかんだと乗車するのに時間が

かかったりする。 こんな光景は日常的のようで誰も苛立っている様子もないの

が救いだ。日本人の私はどうしても急がなきゃ、ミス出来ない、迷惑かけられな

〜い的、日本人特有の発想が根付いてしまっているのだ。 ここはアメリカなん

だから郷に入れば郷に従えでドシッと構えなきゃね。

私の乗るバスは一時間に一本で、顔ぶれと運転手は同じで顔馴染みになっている

ようで運転手は近くの乗客と世間話しをしていたり、コーヒーを飲みながら運転

したり、信号待ちでは新聞広げて読んでいたりと日本では考えられないくらいの

国民性の違いを実感する。 ほとんど表示がなくどこがバス停なのか分からない

けど、臨機応変に区間内はどこでも乗り降りしているみたいだ。 やはり初めての

時に降りる時の合図のタイミングが分からず早過ぎて随分前で停まったので、

もう少し先でお願いしますと言い直したのだった。車内に張られた黄色いヒモを

押すと 「Stop Requested」のサインが表示されるのだけど、その時点でバス

は安全な場所ですぐに停まってくれるのだ。

無料の英語クラスだけど、一日5ドルのバス代払って通うことになるのだ。

クラスは6人くらいが中国人でヒスパニック系が6人くらいアフリカ系が4人

くらいで初の日本人の私が加わって17人〜くらいでいつも満席状態だ。

先生は70才くらいの男の先生で前に住んでいたと所の教室とは随分と雰囲気

も違う。情熱的に2時間たっぷりと授業を進めてくれる。前のところより更に

勉強になりそうなので、バス代使っても週4回通うつもりでいる。

このバスパスを初めて買った帰り道。下車先を告げて差し込むので一回でよいの

だとこれまた勝手に思い込んでいたのだ。たまたま運転手さん気が付かなかった

のでその時に指摘されなかったワケで、次の朝、乗車した時に一回だけ差し込ん

だら最初に乗った時の同じ運転手さんに2ゾーンだから二回だと指摘されてたの

だった。 そして律儀な日本人の私は、帰り道の同じ運転手さんに前回は知らな

いで一回しか入れなかったけど...って言ったら、

過ぎたことだからいいよって見逃してくれたのだった〜。:-)

まだまだアメリカ生活初心者でドタバタ劇は果てしなく続く〜。

(UV36)



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