ご立派なそのお名前とお姿2021/02/05

ご立派なそのお名前とお姿

思いがけないおすそ分けに、いつもとは一味違うランチに有り付くことが出来ました。

クイーンスナッパーと言う名前に相応しいご立派なお姿のこの魚、高級食材である

日本のハマダイによく似てますね。


オータムラブラブジェレミーはフロリダへ行き友人数人と共同所有するモーター

ボートで釣りしてなんとクイーンスナッパーばかりの50匹以上の収穫でボストンへ

戻った次の日にまだ新鮮なクイーンスナッパー持参でランチタイムの時間に

合わせて我が家へやって来てくれました。

(すでに切り身にして鮮度を保つために真空パックしていました。)

早速、キッチンに入り自前のフライパンとスパイスでクイーンスナッパー を

クッキングしてくれました〜

(オータムラブラブジェレミーの手料理を食べるのはこれで二度目)


我が家では白身の魚といえばティラピア、タラなどのムニエルが定番で、

スパイスでフライにしてしまえばどれも一様な味?なんですがこの魚、クイーン

というだけに、なんだか上品な甘さとなめらかな口あたりってな印象でした〜ハハ


このダイナミックな盛り付けは男の料理って感じで〜す。


いやいや〜、相棒も日曜日はランチ&ディナーと必ず料理してくれますし、

相棒の長男の腕並みはプロ並みだし、料理できる男性ってなかなかいい感じでありま〜す。


コロナ収束しないなか_6ヶ月ぶりの再会2020/06/23

コロナ収束しないなか_6ヶ月ぶりの再会

いやいや〜、コロナ騒動以来、当たり前のことが当たり前でなくなって

しまったこの異常な事態にすら..慣らされていくような私たちなんですが、

日曜日の父の日に相棒夫の次男が我が家にやって来てくれました。


彼の友人が湖で釣り上げて三枚おろししたというニジマスと全ての材料と

マイフライパンまで持参してやって来た次男がランチを作ってくれました!


もちろん次男の手料理を見るのも食べるのもこれが初めての事でした。


いっさい私は手を出さないことで、食べるだけを楽しみにしていまた。

いやいや〜シンプルだけど男の料理なかなかいいすねっ!美味しかったですよ〜!

久しぶりの再会にいつものようにハグして、またいつ会えるやら〜とハグして

別れました!


こうして、相棒の次男とは会う事が出来ましたが、コロナの危機はまだ終わって

なくこのまま第2波が忍び寄って来ているのでしょうか、そんな活動的な次男は

今、感染拡大の兆しが出ているフロリダへ9月に行くそうですが、その頃には

大丈夫かな?

毎年、次男や相棒の誕生日で長男の家に集まるのが恒例だったはずがね、

ちょっとだけ規制が解除されたことで、6月の相棒の誕生日で、長男から誘いが

あったんですが、相棒、お孫ちゃんたちを抱くことも出来ない状況では行っても

気を使うばかりで楽しめないっと言って取りやめになりました。

小さな子供3人居る長男たちはまだまだ油断をせず慎重に過ごしているようです。


コロナ収束には程遠いような状況でまだまだ油断はならぬってことで注意しなくちゃ!


親の死に目に(も)会えなかった2020/04/11

親の死に目に(も)会えなかった

世界中の誰が予測しただろうか、この非常事態アウトブレイクの現実を、、、

信じがたいような非日常的なことが、日常の一部になってしまった。


3月27日のこと、母が寝たまま反応せず低体温の容態である連絡メールを受けた。

そして、29日の夕方に死亡が確認された通知報告メールが入った。


3月26日に仕事へ行った時のこと、

その日は休みのはずであるスタッフが出勤してきたので、今日はオフじゃなかっ

たのかを聞くと、〇〇〇が病気で代わりに私が来たと言うので、その(病気)に

つい過剰反応してしまった私は、 まさか(コロナ)と聞いてしまった。


囁くように(そうだ)と、、、他の人たちは知ってるの?首を振った彼女だった。


家に帰ってすぐに相棒に話をすると、そんな大事なことは責任者に確認しなけれ

ばならないので私が電話すると言うので、決してスタッフの名前を出さないこと

を頼んで私に代わって次の日に電話してもらうことにした。


そしてその朝、母のグループホームから昏睡状態のメール連絡を受け取った。


コロナに感染したスタッフが居ることを聞いたことをオーナーに言うと、

誰が言っていたのか聞くことなく冷静に受け止めて、風邪にかかって居るスタッフ

は居るけれど、コロナ感染の報告は聞いていないとのこと、十分に注意して

今のところ問題なく皆な普通に仕事を遂行していると説明してくれたようだった。


私の母が危篤状態なので暫くは休みを取りたいと言うと、出勤できるようになっ

たらいつでも連絡して欲しいとのことだった。


相棒は、レストランマネージャーはとても感じがいい人で信用が出来来そう、

なので、ただ単にその同僚が悪い冗談を言ったんじゃないかと言う。


何か私の聞き間違いだったのだろうか、とても冗談を言ったとは思えなかった...


その20代の〇〇〇とは、その週の月曜日に接触していた私だった。

彼女とはだいたいトイレに行く時間が一緒になっていつも彼女の後に使用する

ことが多かった。その日も確かそんないつもの流れであって、これも濃厚接触に

なる? 、もしかしたらで、コロナ感染への不安は2週間消えなかった。

それと同時に、母が死去した現実をむかえた。


母がそう望んだのだろうか..この緊急事態で想定外の展開になっていった。


絶縁になっている兄と11年振りに電話で葬儀についての話をすることになった。

母のお骨は49日まで兄夫婦の家で過ごすことになった。


母の死の方が優先して自分がコロナに感染したかもしれないと言う不安は、

色々な手続き等で過ぎていくなか、幸い薄れていったような日々にあった。


1週間の時間経過が3週間くらいの長い日々に感じていた。


10日くらい仕事を離れてから、今週の月曜日から再び仕事に復帰した。

いつもと変わらぬ限られた出勤者たちは、いつもと変わらず元気にしていた。


昨日の木曜日に会った、あの彼女に早速真相を確認してみた。

冗談ではなく、本当だとマジ顔で言う。

今週の月曜日、〇〇〇はいつもと変わりなく元気な姿だったことを言うと、

〇〇〇は大丈夫だったこと。よーく聞くと、〇〇〇のお父さんがコロナに

感染していたこと。 念の為、2週間休むので自分の代わり出て欲しいと、

〇〇〇から連絡を受けて、その事情を知ったとのことだった。


いつ私たちも感染するかわからないけど、仕事がある以上は働かなければ生活が

成り立たない、まだ働けるだけでも幸いだと険しい表情で言った彼女だった。


そんな一人の私でもあり、仕事がある以上は出来るだけ行くつもりである。


こんな状況のなかで、逝ってしまった母…

まさか母親の死に目に会えないなんて、夢にも思もわなかった。


愛犬ジャズを亡くした時と同じような感覚に陥ってしまった私だ。


母の母としての深い愛情を振り返り想うたび、ひっそり涙を浮かべ噛み締めている。


寒々しぃくみすぼらしぃけど_愛おしいその姿2019/12/19

寒々しぃくみすぼらしぃけど_愛おしいその姿

うっすらと地面を追う雪が降った後、雨氷に変わった昨日の朝のことでした。


朝食をとりながらいつものように何気に窓の外を見ていると...えっ?...

まだ寝ぼけた自分の目を疑ったのですが...なんとピンク色の小ちゃな小ちゃな花を

再び咲かせている...?...まさか..さっそく雨氷が降るなか外へ出てみました。


なんと我が家の小ちゃな小ちゃな10月桜は間違いなく息づいていました。


オータムの散歩時いつも見ていて、小ちゃな蕾を持っているような感じはあった

んですが...まさかまさかこの寒空の下で花を咲かせるなんてね、ビックリです。


楽しみにしていた10月には開花できないまま葉を落としたあとは、寒々しぃく

庭にポツンと佇む我が家の10月桜の姿に憐みを感じたり、我が家の土に馴染めず

根付けないかもなんて心配したりしていました。


いやいや〜なんのなんの!

この小ちゃな木の幹の内には間違いなく生気があって来年に向けてのパワーを

静かにため込んでいるようです。


CO2をしっかり吸収して育ち、同じ地に共存する相棒+私+一匹分の

スペシャルなVitamin ”O”をしっかり私たちに放出してくれますように!


追伸:

二日目の今朝も再びうっすらと雪化粧した愛おしい我が家の10月桜でした。


氷点下でも花を枯らさない落とさないなんて、なんてなんて愛おしいそのお姿!


いつかは通る道に覚悟するこの頃2019/09/06

いつかは通る道に覚悟するこの頃

あ〜気がつけば、、、随分とブログから離れてしまってるわ〜です。


母が入居するグループホームの事務長さんから、母の体調の報告を受けました。

痰が絡んでいて食事をとるのが困難で、熱もあり点滴を始めたとのことでした。


その次の日に医者でもある院長の往診を受け、酸素飽和度が低いので、

在宅酸素機械で1ℓを実施する状況が12日間ほど続きました。


熱は1日で下がっていたのですが、酸素療法が続き...心配は尽きず

毎日施設に電話を入れ母の様子を聞いていました。


12日ほど経過してようやく酸素機械の使用中止となり、重湯形態で、

朝・昼・夕完食したとのことで、とりあえずはホッとしているとことです。


昨年の同じ頃、同じ症状になった母でしたが、今回も危機から脱してくれて、

3週間ぶりのスカイプでいつもの母に会うことが出来ました。


83歳でアルツハイマー型認知症と診断されてから10年が経ちます。

昨年から車椅子を使用するようになりこの段階で、全介助となった母でした。


〇〇さんと名前で呼ぶと、分かるようで相手の顔を見ながら反応して、

あとは独語が続きます。担当の人とスカイプしている間も何かを喋って

いるのですが、もちろん何を言っているのか分かりませんが、

これがこれがなかなか力が入っていてエネルギッシュな母を感じます。

しかし、90歳過ぎていて、いつなんどき急変してもおかしくありません。

もしもの時の緊急事態に出来るだけ早く対応しなければならないという

緊張感が続きます。


やはりこれも10年経ちますが、絶縁状態の兄が居て... 叔母から母の居場所を

聞いたようで、月1ホームに兄夫婦で面会しているそうです。


その話は随分前にその当時の事務長さんから、来てることを言わないで欲しい

と言われていますが、一応伝えておきますということで聞きました。


兄にとっても親なのだから当然でしょうと思うくらいで、それ以上の感情は

何もありません。

遠くアメリカに住んでいる私ですので、母の緊急時にはどうしたって施設側は、

心配が尽きないのも事実であると思います。

入所当時から緊急時は、出来るだけ早く日本へ戻ることを約束しています。

その時が来たらと、、葬儀屋さんにもすでに話をして承諾を頂いています。


お墓を永代供養で移動した事を叔母が兄達に言うと住所を聞いたそうです。

こうして叔母から私の情報は一方的に伝わっているだけで、兄達自身は何も語ら

ないようなので 母の緊急時に、、兄夫婦がどう考えているのか分かりません。


私としてはこの10年間、母のこと家のこと先祖のお墓のことなどを一人で

判断して実行してきたように、これからのことも一人で対応するだけです。


私はこのままアメリカに住み続けると思います。

母が居なくなった後は、家の処分を考えるようになると思います。

しかし、家に関しては私だけではどうにも動かせません。

やはり10年前に、父名義のままの家の名義変更の手続きを司法書士さんを

通して揃えた書類を同封してサインをしてもらうのに兄宛に送ってもらい

ましたが、そのまま無言で返送されてきたのでした。

そのまま放っておけば自動的に兄夫婦の子供達のものになるのでしょうから、

推測するに、、、そういうことだと思いますが、それまで一体誰が固定資産税を

払っていくのでしょうか、、、


義姉との相性が良くないと、よい兄妹関係がとれず疎遠になるのも仕方ない

のかもしれません。そもそも私たち兄妹の相性すら良くないんですから

尚更だったのかもしれません。

もしも義姉と私の相性が悪くなかったら、もしかしたらマシな違う

展開になっていたかもしれないと思うのですが、

私としましては、兄妹、義姉運に恵まれず、残念なことでした!!!


いつかはやって来る母の終末期、

その時はアメリカから日本へ出来るだけ早く向かわなければなりません。

そんなプレッシャーを感じますが、そんなこんなも含めてある意味で

難儀とも言えるような性格とそんな生き方を選んだのも私自身であります。