突然の更新となりました〜! ― 2023/01/04

2021年8月より色々とありまして、いやいや〜大変ご無沙汰しています!
1年ちょっとずーっとブログから離れてしまいましたが、
本日突然にも、こうして更新する気になったよ(?)
ま〜何だかんだあっても相変わらずってところで元気に過ごしてますよ。
「食」に気を使うようになってか免疫力が上がってるのでしょうか、
相棒が風邪を貰ってきても、私はこの3年間風邪引きなしです💕

7年ぶりくらいになるでしょうか、なんとなんとハイキング復活して、
トレーニングを兼ねてちょくちょくと出かけることが多くなりましたよ。

相棒の体力復活?
昨年フロリダへ旅行へ行って以来、活気付いてきたと思います。
愛犬オータムも昨年10月で9歳になりましたが、まだまだどんだけでも歩ける?
って感じでハイキング大好き大好き犬です💕
ボチボチとつぶやくシンプルな感じで続けられるようにとは思ってますが、、、
とりあえず、これをもって新年のご挨拶とさせていただきます。
何はともあれ、今年も宜しくお願いしま〜す💕
1年ちょっとずーっとブログから離れてしまいましたが、
本日突然にも、こうして更新する気になったよ(?)
ま〜何だかんだあっても相変わらずってところで元気に過ごしてますよ。
「食」に気を使うようになってか免疫力が上がってるのでしょうか、
相棒が風邪を貰ってきても、私はこの3年間風邪引きなしです💕

7年ぶりくらいになるでしょうか、なんとなんとハイキング復活して、
トレーニングを兼ねてちょくちょくと出かけることが多くなりましたよ。

相棒の体力復活?
昨年フロリダへ旅行へ行って以来、活気付いてきたと思います。

愛犬オータムも昨年10月で9歳になりましたが、まだまだどんだけでも歩ける?
って感じでハイキング大好き大好き犬です💕
ボチボチとつぶやくシンプルな感じで続けられるようにとは思ってますが、、、

とりあえず、これをもって新年のご挨拶とさせていただきます。
何はともあれ、今年も宜しくお願いしま〜す💕
夫が失神した日 ― 2023/01/06

2021年8月23日のこと...
あんなこと二度と経験したくないけど、、年とともにこればかりはね..きっと...

その日、胃腸の不調とかで、、何度もトイレに通っていた相棒で、、、
そして、寝室で突然倒れてしまった相棒、、、
私の声かけにかなり反応が弱く、、、大変なことが起きている!

とっさに取った私の行動はご近所さんに助けを求めて飛び出し、左へ行こうとしたけど、、
抱えるのに女性では無理だ!と、直ぐに右へ舵を取り直し隣のジョージへSOS、
相棒の様子を見て「911」を呼んだほうがいいと動揺しまくっている私に代わって
電話を入れてくれた。

始めに警官が3.4人やってきて、後から救急救命士人が到着。
私をなだめるように、心臓には問題ないようだから心配ないと言ってくれたりと。
相棒の次男に直ぐに来るように電話連絡。
救急病院を知っているので一緒に行ってくれるというジョージの車に乗って
救急病院へ
次男と二人で病室に入ることは出来ず、交代で面会、相棒の意識が戻って
いたのでとりあえずホッとした。
次男の車で一旦家に戻って、次男はそのままボストンへ帰宅。
急いで入院準備で必要な持ち物をまとめ、車を出そうとしたら何故かエンジンが
かからないじゃない(焦)、、、
急遽相棒が乗っている方の車に乗り換えて40分くらいの道のりの病院へ向かった
けど、 もしもあの車に乗ってそれこそ途中で車がエンコしてしまったら大変な
ことになっていたな、、これも不幸中の幸いだったのかもと、、
病室へ入るとだいぶ容態が落ち着いている様子だった。
コロナ検査も陰性で問題なし。かなり衰弱してしまった様子だけど直ぐに家に
帰れると言う。
結果的に深刻な病症はなく、恐らく過度の下痢で貧血を起こした?
何しろガサツな一面がある私とは違って丸まるストレスに超〜弱い繊細すぎる
相棒なのだ、、

もしも相棒を失ったらどうしよと、、心底途方に暮れてしまう出来事だった。
一人でもアメリカで生きていけるように心構えをしろって警告だったのだろうか....
自分にとってあまりにもショックな事が起きると直ぐに公言できないもんなので、
これを境に自然とブログから離れてしまったんですね。

これぞ安上がりオーガニックパワ〜じゃなぃ! ― 2023/01/10

いやいや〜、体力の限界だぁ〜で、アウトドアすべて止めるの宣言からですね、
なんと7年もの年月が経っていて...あの時以上に歳も取っている訳なんですが、
いや〜これはこれはです、まさしく奇跡の復活じゃ〜ありませんか、”ねっ!”

相棒の体力復活以来、今では雨が降らない限り週一にボストン南部にある小高い山
ブルーヒルズへランチタイムを挟んで2時間ほどの軽いハイキングへ出向いています。
私は15年前に初めて行った山で、前の愛犬ジャズと行ったのが恐らく最後で..,
あれから10年ぶりのブルーヒルズハイキングとなるなんて嬉しい限りです。

ハイキング復活からオータムも連れて行ったのですが、岩がゴロゴロと比較的あっち
こっちとあるトレイルでオータムの足元を心配して一緒だと楽しめないとオータムは
連れて行きたがりません。まだまだ足腰しっかりで体力あるオータムなので、
大丈夫だと思うんですが...(私としてはオータム一緒で更に楽しめるので残念)

この他にも相棒は新しいトレイルをチェックしにブルーヒルと家の近くにある
州立公園のトレイルを活動的に単独で週3日くらいのペースで時にオータムも
伴うといった余裕の体力復活ぶりに大いに喜ぶ私とオータムであります。

ボストン中心地からも30分で来れるブルーヒルズは大変人気のあるところで
祝日などは多くの人がやって来て駐車場が満車なので行かないようにします。
ハイキングに出向く時は”アタチも連れてって!と言わんばかりにその準備の様子を
注意深く観察しては興奮し始めてるハイキング大好きオータムです。
興味のない人から見れば同じ景色で飽きないの?って感覚かもしれませんよね。
ハイキングに限っては不思議とね、これがこれがまったくまったく飽きないワケで
こうして安上がりな人生をエンジョイ出来きるなんて実に私たちは幸せ者です!

これも自然療法の一つになるのでしょう
自然の中を歩いているだけで、気持ちが穏やかになっているんですね。
これぞ自然浴が心身にもたらす癒しのパワー効果なんでしょうか
人工物や化学物質にすっかりと毒された生活に本来備わってるはずの五感が
後退してしまっていると思います。
自然浴によって五感が覚醒していくような感覚が蘇り私たち人間も自然の一部
なんだと謙虚な気持ちになれては心底癒しを実感してます。
なので、同じような景色の中でも飽きずにハイキングが続けられるんだと思います。

自然の中にいるだけで免疫力が高まると言われますが、風邪もひかないのは
その効果大ありかもですね。
有酸素運動しながら、寒さや暑さをしっかりと身体で受け止め五感をフルに刺激し
ながら無理のないストレスのない時間を過ごすことでリフレッシュしています。

石造りのエリオットタワー展望台では今ではすっかり遠のいてしまった懐かしの
ボストン全域をこうして見渡す事が出来ます。

、相棒も大好きな”にぎらず”をここで食べるのが楽しみの一つ!

寒そっ〜って?
ハイ、確かに寒いですが、こんな状況でも実に美味しく味わえるんですね。
こんな微小なことに幸せを感じれるなんて.. ねっ!

いや〜
休日をこうして夫婦で好きなことを共有できるようになって実によかった ねっ!
安上がり夫婦の人生に幸あれ〜❣️

日本で失った大きなもの ― 2023/01/14

この現実って 私の人生の流れを変える大きな節目になるんだろうな

事の成り行きを見守り 客観的に捉えて 出来るだけ起きている事の
その流れに沿って 冷静にそのまんま受け止めていくしか方法はなかった

事が終わったあと、
負の感情にハイジャックされてしまわないように とにかく考えないように
考えないようにしてきた
今でもたまにそのことが頭によぎってきたとき シャカシャカと頭を振るい
払い除け視点を切り替えて それについてとにかく考えないようにするだけ

望まない現実だったけど、
嘆いて気落ちしたところ 何もかも仕方ない この一言に尽きる

もしかして、
こうして感情の抑制をする限り これは逆効果?
隙あらばこれに関しての負の感情がいつまでも安易に忍び込んでくることが
繰り返されているのかもしれない
ブログ再開したことだし これを機にちょっと呟いてみようかな

相棒が失神した出来事のあとのほっとする間もなく 絶縁の兄からのメール
そこには事務的な文体で要点だけが書かれた家の処分という衝撃的な内容
すべて司法書士に任せてあるので担当の者から私にメールが届くとのこと
母も亡くなり いよいよそんな時期になったのは了解できるけど
しかし よりによって日本へ帰国するのが厄介な あの2021年の状況下
自分の物を自分で確認したいので出入国が緩和されるまで延期してもらいたいと思った
二度も泥棒に入られてこれ以上ご近所に迷惑をかけられないと
ちゃんと向き合って 普通の会話ですら出来ない 歪んだ兄妹関係
担当の司法書士さんへ色々質問したりと何度もメールやりとりをしていた
兄から突然 この件は降ります 今後はあなたがすべてやってくださいと
一時帰国が難しく 私にはどうにも為す術がない
すべての権限を譲ります 今後もこのまま手続きを進めてください

司法書士さんに確認すると2022年の1月に解体して売りに出すとのことだった
暫く経ってから 司法書士に確認すると 売却したそうな
近くに住む従姉妹が送ってきた画像 跡形も無い更地に生まれ変わっていた
まるで何事もなかったように新たな時の流れに大地が息づき始めているようだった

こうして時代は移り行く
個々が所有してきた膨大な時間と年月が刻み込まれた地
当たり前にあったモノやコトや人々はやがては散って消えて忘れ去られいく
長い歴史のなか瞬くくらいの一瞬の出来事に過ぎない その儚き人の足跡
そんな時の流れに目を伏せて感傷的になったりとなんとも言えない心境に陥る

他人にはゴミに見えても私にとって大切なものがそこにあった
結果的に同じ処分でも自分の目で確かめながらやりたかった
それが叶わず果たせなかった事 どうしてもそこに思いが執着してしまう
ならば何が何でも帰国して自分で整理すればよいだけの事だった
その時は大切な私物よりも狂い出した世界の動向に懸念する気持ちの方が強く
結果 一時帰国を断念することを選んだわけだから到底文句は言えない

私の個人情報満載の3台のパソコンはどのように処理されたのだろうか
私の絵の作品諸々すべて家と共に解体されたのだろう
両親と私の古いアルバムに目を通したかった
そんな事すら聞けない 話せない 頼めない 兄との希薄な関係

2020年に母も亡くなり 2022年には身を寄せる家もなくなった
従姉妹に日本に帰ってくる理由がもうないじゃないと言われたとき
いやいや日本は私の母国 それだけでも帰る理由は大有りじゃない
パンデミック以来3年帰っていない 確かにすっかと遠のいていく感覚
もしも家と母がまだ今も健在なら私の責任上そんなことも言ってられないわけで
どんな状況下でも間違いなく帰国していただろう
彼女が言ったように身内も家もなく無理して帰る理由がなくなってしまったのだ

2019年4月に一時帰国してアメリカへ戻るその日、
両親の家のドア鍵を閉める時 まさかこれが最後になるなんて夢にも思わなかった
あっけなく廃棄された私物への心残りは私が’生きている間は消え去らないけど
いつの日か自分の意思に関わらず私自身も身ひとつで消滅してしまうわけだ
どれもこれも 人生ってなるべくしてなっていくのだろう
もうこれ以上私にとって必要がない環境だったから 結果的にこうなった
だからこの流れで この結果で それでよかったのだろう

自分の足元を見て今のありのままの自分と今あるもがどんなに自分にとって大切か
夫と愛犬だけの小さな家族に 今日と言う日に 謙虚な気持ちで心から感謝

縁があったこのアメリカの地
何があっても しっかりと 足をつけて 生きていかなきゃね
そんな声がする どこからか聞こえてくる

「前夫」の最期 ― 2023/01/25

前回の「家の喪失感」に続けて、今回のタイトルでのそのことを書き始めようと
していたんだけど、そこで途切れたまま 早くも1週間以上も経ってしまった。
ブログを書かない日々のサイクルにもすっかり慣れてしまって、他のことに
頭がとられて忘れてしまう始末 何せ2年以上も放置状態だったわけだからね。

行き場やり場のない心の置き場としてブログを始めて10年続けてきたんだし
せっかく再スタートしたんだからさ ここら辺で更新しよっね!

「前夫」と言っても戸籍上の事で、夫婦と言う感覚は程遠く、あくまでも
自営を共有した仕事上の同志として同じ釜の飯を食った仲の関係で成り立っていた。
そう言った意味では見せかけの夫婦関係よりも深い絆で繋がっていたのかもしれない。

モノづくりをこよなく愛しその情熱が命の原動力になっていた「前夫」の人生だった。
闘病中も自分の道具の整理を兼ねて務めていた会社に通っては、何か造る事で、
手を動かし集中するその間は心身の苦痛を紛らす事が出来た。
そんな「前夫」の弱点をあえて今の時代にそって言ってしまえば、
デジタル社会のツール操作に極端に苦手意識を持っていたアナログな人だったこと。
そもそも覚えようとする気がさらさら無く進化していくデジタル化に馴染めず
誰もが普通に使用する連絡ツールの携帯メールでさえ拒絶するって感覚。

モノつくりの根源は、本来アナログ感性が際立っていないと良いモノも出来ない
んではないだろうか。

そんなことなので、「前夫」と連絡を取る手段は電話だけだった。
パソコン通信出来ればどんなに便利かとつい思ってしまうけど、パソコンや携帯
がない頃の時代を送ってる世代だから ま、想像力を働かせば良いだけのことかな。
2020年の暮れごろ、
ビックリしないで聞いてね このオレがね 癌の宣告受けたよ 笑っちゃうでしょ

出来るだけの事をしてあげなさいと涙を流しながら言う相棒のピュアな人柄を改めてみた。
私に出来る事と言ったら毎日欠かさず電話をすることだけだった。
その時々の調子を伺いながら5分でも時には1時間近くになることもあった。
2021年2月に手術が予定された
お腹を開けたけど手がつけられなくて閉じて終わったとのことだった。
ステージ4だったらしいが、その時そのことは私には告げなかった。

身寄りのない「前夫」 いよいよで入院する前まで自分で用をすませていたこと
闘病する前まで働いていた美術造形会社へ通って自分の物作りを楽しんでいたこと
冗談を言ったりとその元気そうな様子に、ちょっとした周りの仕事仲間は本当に
病気なの?って言われていたそうな
2021年の暮れ頃になると、毎日一定の時間に激痛が襲うようになっていた。
聞いているだけで、どうする事も出来ず辛くなるような状況にあった。
生きるも地獄とは正にこのようなこと その末期症状が電話口から私に伝わっていた。
そして、

2022年の7月24日の電話先で”不安”と一言、 それが彼の私への最後の言葉となった。
それから2日間電話が通じず、またバッテリー切れかなと思ってた。
何かの時にメールで連絡を取っていたその造形会社の人からメール受信、
気丈に闘病から2年半年経った2022年、70歳の誕生日の前日に力尽きた前夫。
やっと楽になれたね それが正直な私の心境だった。

物作り 登山 釣り 酒 ロングピースを今宵なく愛したアナログ時代の良き頃
ファッションも彼なりのこだわりで個性的な服を身につけていた良き頃

個性的な情緒的な繋がりを持った時代にそれぞれの感性を活かして生きてこれた
ようなあの頃は もう遠い過去になるんだろうか

大きな変革を前にして世界は混沌としているようだ
アナログ人間はもうこの世に用無しと言わんばかりに何かが加速していくような
パンデミックに始まりおかしな事が罷り通っていくような世界の流れ

デジタル全体主義的な高度管理社会への移行への音が刻々と近づいているような

そんなどんな時代にあっても きっと生きていればいいことはあるよね
自分らしく出来る事 自分にとって楽しい事を見つけて生きていることが大事だね
時代の大きな変革を見ないままに あの世に逝ってしまった「前夫」だったけど、
私はこの好奇心をもって自分の目で確かめながら出来るだけ生きていくよ
ー 安らかにお眠りください ー

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