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親の死に目に(も)会えなかった2020/04/11

親の死に目に(も)会えなかった

世界中の誰が予測しただろうか、この非常事態アウトブレイクの現実を、、、

信じがたいような非日常的なことが、日常の一部になってしまった。


3月27日のこと、母が寝たまま反応せず低体温の容態である連絡メールを受けた。

そして、29日の夕方に死亡が確認された通知報告メールが入った。


3月26日に仕事へ行った時のこと、

その日は休みのはずであるスタッフが出勤してきたので、今日はオフじゃなかっ

たのかを聞くと、〇〇〇が病気で代わりに私が来たと言うので、その(病気)に

つい過剰反応してしまった私は、 まさか(コロナ)と聞いてしまった。


囁くように(そうだ)と、、、他の人たちは知ってるの?首を振った彼女だった。


家に帰ってすぐに相棒に話をすると、そんな大事なことは責任者に確認しなけれ

ばならないので私が電話すると言うので、決してスタッフの名前を出さないこと

を頼んで私に代わって次の日に電話してもらうことにした。


そしてその朝、母のグループホームから昏睡状態のメール連絡を受け取った。


コロナに感染したスタッフが居ることを聞いたことをオーナーに言うと、

誰が言っていたのか聞くことなく冷静に受け止めて、風邪にかかって居るスタッフ

は居るけれど、コロナ感染の報告は聞いていないとのこと、十分に注意して

今のところ問題なく皆な普通に仕事を遂行していると説明してくれたようだった。


私の母が危篤状態なので暫くは休みを取りたいと言うと、出勤できるようになっ

たらいつでも連絡して欲しいとのことだった。


相棒は、レストランマネージャーはとても感じがいい人で信用が出来来そう、

なので、ただ単にその同僚が悪い冗談を言ったんじゃないかと言う。


何か私の聞き間違いだったのだろうか、とても冗談を言ったとは思えなかった...


その20代の〇〇〇とは、その週の月曜日に接触していた私だった。

彼女とはだいたいトイレに行く時間が一緒になっていつも彼女の後に使用する

ことが多かった。その日も確かそんないつもの流れであって、これも濃厚接触に

なる? 、もしかしたらで、コロナ感染への不安は2週間消えなかった。

それと同時に、母が死去した現実をむかえた。


母がそう望んだのだろうか..この緊急事態で想定外の展開になっていった。


絶縁になっている兄と11年振りに電話で葬儀についての話をすることになった。

母のお骨は49日まで兄夫婦の家で過ごすことになった。


母の死の方が優先して自分がコロナに感染したかもしれないと言う不安は、

色々な手続き等で過ぎていくなか、幸い薄れていったような日々にあった。


1週間の時間経過が3週間くらいの長い日々に感じていた。


10日くらい仕事を離れてから、今週の月曜日から再び仕事に復帰した。

いつもと変わらぬ限られた出勤者たちは、いつもと変わらず元気にしていた。


昨日の木曜日に会った、あの彼女に早速真相を確認してみた。

冗談ではなく、本当だとマジ顔で言う。

今週の月曜日、〇〇〇はいつもと変わりなく元気な姿だったことを言うと、

〇〇〇は大丈夫だったこと。よーく聞くと、〇〇〇のお父さんがコロナに

感染していたこと。 念の為、2週間休むので自分の代わり出て欲しいと、

〇〇〇から連絡を受けて、その事情を知ったとのことだった。


いつ私たちも感染するかわからないけど、仕事がある以上は働かなければ生活が

成り立たない、まだ働けるだけでも幸いだと険しい表情で言った彼女だった。


そんな一人の私でもあり、仕事がある以上は出来るだけ行くつもりである。


こんな状況のなかで、逝ってしまった母…

まさか母親の死に目に会えないなんて、夢にも思もわなかった。


愛犬ジャズを亡くした時と同じような感覚に陥ってしまった私だ。


母の母としての深い愛情を振り返り想うたび、ひっそり涙を浮かべ噛み締めている。


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