完璧な人生の中の欠如 ― 2017/04/22
それはですね…
世間と足並み揃えた競争心が完璧に欠如しているってことなんですが、
お金を生み出す能力が限りなくゼロ感覚で生産力の価値と世間並みの欲にも
疎い人生観の持ち主です。もちろんそんな私も生活するために働いてきました。
自営もしたことがありますが、お金を追求する感覚の欠如で結果うまくいき
ませんでした。よく言われてきましたが、それは考えが甘い!って
ことなんですね。それでもこうして生きてこれたのも生きていけるのも、
違うところの価値観というか、目に見えない何かにいつも支えられているような
人生のような気がします。私の人生の中での見据えている価値観がどうしても
世間並みなことが完璧に脱落しているようで、世間に足並みが揃えられない
のですが、それはそれで人生の足かせのないようなところを無意識に追っかけ
て生きてきた結果のような気がします。
この歳になっても感性に従い、常識にとらわれない性格はやっぱり一般的な
人たちとはどこかズレた視点で生きているのかもしれません。
右にならえ的なルールや常識に疎いのは、どうも生まれ持ったもので、
ことごとく親の意に反する子供時代に鍛えあげた精神力というか、どんなに
挫折しても最終的にくじけないだけのものを養ってきたんだと思います。
この年になっても子供目線で生きていける感性が衰えないってことは、
これはある意味でとても幸せなことかもしれません。
母のところへ訪問するたびに思うのは、バリバリ仕事をやってきた人たちが、
どうしてこうなっちゃったのかなと思いを寄せてみるのですが...
病気だから仕方なく、それと引き換え何かから解放された純真無垢な愛おしさと
断片的な過去の残像だけをどこかに抱え込んで自分の世界に入り込んでしまった
その共通した姿は兎にも角にも象徴的であります。
ある反面とても難しいことなんですが、世間の価値観に惑わされず、
自分の価値観を信じて生きていく、もうこれっきゃないんですね。
若い頃は一体何を考えているの?一体どうしたいの?ってよく言われてきました。
その地に足がつかないような生き様は基本的に今も変わりないようです。
他の知恵と方法が見当たりませんので、ま、開き直りでしょうか、
人様に迷惑をかけないよう、こんな人生もありでこのまんま貫いてまいります。

きな臭い日本からアメリカへの全道中 ― 2017/04/24
一時帰国から戻ってこんな夢を見た ― 2017/04/28
夢の脳内映像が薄れてしまう前に書き留めておこうと思います。
一時帰国中の慢性的疲労感、疲れているのに眠れない、寝ても途切れ途切れで
どんなに疲れていても熟睡できないのは いつものことで、
アメリカへ戻った 途端に神経衰弱のような症状が解消されます。
帰宅した次の日は夜の七時には睡魔に襲われベットへ入り寝てしまいました。
そして、夢を見ていました。
夢の中の私は、どこかへ行ってしまった愛犬を探している様子でした。
ドアを開けるとそこに居るのは17年前くらいに16歳で死んだはずの風太という
名の雑種の愛犬でした。 私を見つめる風太は清々しく若々しく私に寄り添って
見つめ合い17年前のことなのに私たちはいつものことのように接していました。
しかし、私が探しているのは風太ではなく違う愛犬でした。
その風太を連れ立って外に出てあたりを探していました。
それから、夢の中の私は名前を呼ぼうとするのに声にならない、
どんなに出そうとして何度も試みるけど声が出ない現象に苦しんでいました。
ちょうどそこで、相棒に起こされたのようです…
私は全くここの意識がないのですが、where've you gone?Jazz, Come Back!
と言って『ジャズ、ジャズ』と何度も叫んでいたそうです。
そんな寝言を言う私に驚いて起こしにきた相棒はそれから、
オータムを抱いて 私のところへ連れてきました。
夢の中で探していた愛犬がジャズだったなんて全く認識していません でした。
ジャズジャズと寝言を言った部分も全く知りませんでした。
名前を呼ぼうとしても声が出ないあたりから覚えています。
起こされた後に時計を見ると九時でした。
それからその夢を繰り返し思い返しながら眠れないまんま11時に起き出して
この夢の記憶が薄れないうちにダイニングでメモを取っていると、
私の様子が気になったのか相棒が起きてきて大丈夫?と声をかけてきました。
17年前に亡くなった『風太』が夢の中に鮮明な姿で私のところへやって来て、
『風太』と一緒に夢の中で探していた愛犬は『ジャズ』だったんですね..
この夢の中にジャズは現れませんでしたが、風太とジャズは
私が最も愛した思い出深い愛犬です。

穏やかならぬ遠距離間の日々 ― 2017/04/29
アメリカへ戻ってホッとしたのも束の間のことで...
グループホームで暮らす母と週一でスカイプする事になっています。
一時帰国から帰ったばかりで、事務長さんの方から、
風邪の症状で熱がありスカイプができないとメール連絡がありました。
すぐに電話をして状況を聞くと、 タンが詰まりそこから鮮血していて
酸素飽和度数値が高い状況であるとの事でした。
それから日本の勤務時間に合わせて電話で状況を聞いています。
次の日に下記の内容でメールでの報告を受けました。
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現在の状況はご飯、水分は口からとれないので点滴は継続しております。
酸素吸入は当初より1Lで対応しております。
本日お昼の12時時点で
血圧 130/72
脈拍 58
体温 36.4度
酸素飽和度 96~98%(正常範囲です)
現在は出血もなく、お話もできる状態です。
主治医、看護師と密に連携しております。
また、何か状況が変わりましたら、 ご連絡差し上げたいと思います。
つい先ほどの写真を添付致します。
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その添付された写真にはカメラに向けて目を開けた母の横たわる姿がありました。
一つの情報として母の様子を画像だけでも見れる事はありがたいと思います。
母のグループホームの経営者は医者であり全てお任せしている状況です。
いつかはやってくること、いつかは通過する道であり漠然と考えていたこと、
今この穏やかならぬ日々、時の流れと共にいろんなことが現実味を帯びていく
過程にあるような過度な不安感に包まれた心境です。
一人で全てのことを段取りしていかなければなりません。
インターネットの便利な時代とはいえ、通信のやり取りはどこに居ても瞬時に
出来ても、実際にアメリカから日本へ移動するには莫大な時間を費やします。
それを含めて覚悟してアメリカへ移住したのも私の選択です。
もしももしも緊急帰国になった場合、何よりも心配なのは緊急にチケットの
手配がスムーズに出来るかどうか、ネットで調べてみると緊急帰国制度っていう
のがあるようですが、そのタイミングでどうなるのかも想像がつきません。
どうあれ何かの時に備えて日本へ再び一時帰国する心の準備は必要です。
母も91歳になって、アルツハイマー認知症の症状もだいぶ進んできています。
最高年齢の104歳の利用者さんと比較すると、母はまだまだ先と思いたいの
ですが、やっぱり90歳超えると、いつ何が起こるか分かりませんので、
その覚悟と心の準備はいつもしておく必要があると思います。
そして、母が生まれ持った寿命を全うしていくのを見守るだけです。
アメリカに居てはすぐにどうすることも出来ず、どうしても不安感ばかりが
募っていくのですが、遅かれ早かれ一度は通らなければならない道です。
うぅ〜〜こればかりは相棒にもオータムにも頼れません!

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