いつも心にボストンテリア25 家族の残憶に触れて ― 2015/04/25
日本の両親のこの家で2006年から2012年までの6年間とちょっとを
共に暮らしたジャズでした。
40年ほどの時を刻んできた私の家族の歴史が詰まっています。いつの間にか
ここでひとりぼっちになってどうしたって感慨深い思いにかられてしまいます。
2012年にアメリカへ移住してからここでの時間が止ってしまったこの家には
そこかしこにジャズの残像があふれていますが 今年の一時帰国中はジャズの
面影をみて悲しさに包まれることはありませんでした。
日本の生活では日中を母と一緒に過ごしていたジャズでした。
孫を可愛がるようにジャズに甘く接していた母でした。
仕事から戻って散歩へ行くとジャズはもどすことがありました。
もどしたものを見るとたいがいウィンナーが出ていました。
人の食べるものを与えないでと言うと お昼を食べているとジャズが
欲しがるからと言う母に 与えれば欲しがるにきまってるじゃない!
何度言っても鬼の居ぬ間に繰り返す母でした。
私が居る時は決して欲しい素振りも見せないジャズでしたが
母と2人っきりで居る時はどうも様子が違っていたようでした。そのことで
いつも母を怒ると母を怒っているのにジャズも私を怖がっていたのでした。
そんな思い出も今では微笑ましく懐かしいばかりです。
共に暮らしたジャズでした。
40年ほどの時を刻んできた私の家族の歴史が詰まっています。いつの間にか
ここでひとりぼっちになってどうしたって感慨深い思いにかられてしまいます。
2012年にアメリカへ移住してからここでの時間が止ってしまったこの家には
そこかしこにジャズの残像があふれていますが 今年の一時帰国中はジャズの
面影をみて悲しさに包まれることはありませんでした。
日本の生活では日中を母と一緒に過ごしていたジャズでした。
孫を可愛がるようにジャズに甘く接していた母でした。
仕事から戻って散歩へ行くとジャズはもどすことがありました。
もどしたものを見るとたいがいウィンナーが出ていました。
人の食べるものを与えないでと言うと お昼を食べているとジャズが
欲しがるからと言う母に 与えれば欲しがるにきまってるじゃない!
何度言っても鬼の居ぬ間に繰り返す母でした。
私が居る時は決して欲しい素振りも見せないジャズでしたが
母と2人っきりで居る時はどうも様子が違っていたようでした。そのことで
いつも母を怒ると母を怒っているのにジャズも私を怖がっていたのでした。
そんな思い出も今では微笑ましく懐かしいばかりです。
最近のコメント