朝のウォーキングと黒人の名物おじさん2013/06/01



隠し撮りするように後ろから撮った写真に小さく写っているおじさん。

毎朝、Stop標識で同じ時間にポールに手をかけてに立っているおじさんがいる。通学の時間帯でスクールバスへ向かう子供連れの通行人やらの見守りをしているんだろうな、もしかしたら現役時代は警備員か警官だったのかな等々と勝手に想像している。平日だけで土日は居ないおじさんなのだ。

Good morning! Have a nice day!と通り過ぎそこを横断していく。何時しかそのおじさんは、I love youと付け加えて笑顔で言うようになった。えっ、なんで挨拶に I love youなの?とちょっと驚いた。そのおじさんはそこに佇んでいるだけでそれ以上のアクションはないし、まっ、いいかと思っている。

私が勝手に言っている小さな町のそんな名物おじさん。

つい数日前まで肌寒く、昨日を境にいきなり夏の日差しが照りつけて今朝はすでに90°F(32℃)になっていた。 なるべく日陰を歩くようにしながら橋を通ってダウンタウンへ抜けたころ気分が少し悪くなってきた。水を持っていなかった。
水を買って日陰のこのベンチで少し休んだ。気をつけなくっちゃね。

今日のランチは有給で在宅しているサンドイッチと昨夜のチキンライスの残りとマッシュポテト、そしてヒスパニック系のお隣さんから貰ったplantainプランティンを教えてもらったとおりバターで炒めて食べた。

大きさにビックリのplantainプランティン 始めての試食。

これは腹持ちがいい甘くないサツマイモみたいな、ジャガイモみたいな味で蜂蜜をつけて食べると美味しいと言っていたけど私は甘党ではないのでそのままで充分食べられた。サンドイッチはそのものがプレーン過ぎると言ってあまり食べなかった。

月曜日の面接に備えての最終チェックのため今日は有給を取ったサンドイッチだった。 そして今日、新たにボストンにある学校の電話面接の通知を受けた。 水曜日に正式電話面接を受けることになった。小さな小さなチャンスだけど、面接の通知さえなかったら何も始まらない。

明日からママの住むLenox(レノックス)へ二泊で行く予定だったが、新たな面接の準備のために日曜日に変更。一泊して月曜日の帰り道にあるSpringfield(スプリングフィールド)で面接を受ける予定になっている。この町はあまり治安がよくない。しかし今回受ける学校は幸い数少ないレベルの高い学校の一つであるようだ。1年契約が終わり今年度で今の学校は終わる。場所を選んでいられない。

なんとしても仕事を得なければならない切羽詰まった状況なのだ。

再び私のお気に入りのこの看板登場、 ”Pick him up!”

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マサチューセッツのバークシャー地方でトレーラーハウス生活2013/06/02

自然に囲まれた避暑地なので朝晩は気温が低く寒いくらいだった。
このバークシャー地方はニューヨークとボストンから車で三時間くらいのところにあり私達が過ごしたトレラーハウスがある地域は山脈や湖などに囲まれたリゾート地の一つ。

サンドイッチのママが住むレノックスまで車で30分のところであった。

去年、日本から予約を入れていた6/23〜7/31まで一ヶ月ちょっとを

渡米してから仮住まいとしてここで生活した。

サマーキャンプの一ヶ月の仕事にサンドイッチはここから通った。

私とジャズは壮大な自然の一角で光と陰の豊なハーモニーに日々癒されながら芯からリラックスしてまさに命の洗濯をしたって感じのときだった。

ある朝、野生ラビットが目の前で朝ご飯を食べに現れた。

私の好きな映画の一つで、それは”ミス. ポター”のピーターラビットを見るような光景であった。そして野生のリスはいたるところで見ることが出来る。

朝の散歩で熊と遭遇したおっかなかった話も今では懐かしい。

熊は山へ帰ろうと丘を登っていこうとしていた時に私たちの気配に気が付き目と目があってしまった。そこまで少しだけ距離があったので静かな急ぎ足でジャズとトレーラーハウスへ戻って行き、熊は私たちに興味を示さず山の方へ帰っていってくれて事なくすんだのだった。ジャズは吠えないのでそれが幸いしたのかもしれない。

アメリカへ来て24時間フルでジャズと過ごす事が出来た幸せな日々を思い返す。

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ブログ初心者の苦悩と就活の苦悩2013/06/03

ちょっと大袈裟なタイトルだけど、

UPしてるとニンヤリしてDOWNだとなんとなく凹んでる気分なのだ。

今朝は少し遅いウォーキングのスタートだった。9時頃でデジタル温度計の表示は83°F(28℃)を示していてた。 ここ数日は真夏日で日差しが強く暑い!

リビングのACはフル稼働している。

サンドイッチの体調が金曜日の夜からよくない。精神的プレッシャーとストレスと持病の偏頭痛でレノックス行きの予定を取り止め。

ナーバスになってかなり落ち込むことの多いこの頃だ。

サンドイッチはIBMのエンジニアだった。50代にして転職を目指し小学校の教員の資格を取得した。50代からの就活が始まった。日本へ移住する前にマサチューセッツ州で今のようにかなりの数を応募したがその当時は一つも面接の通知を受ける事がなかった。もしこの時点で仕事をアメリカで得ていたなら私はこの時にジャズと渡米していたことになる。結果的に2009年に日本へ移住してきたサンドイッチだった。数カ所で英語を教えて収入を得ていた。2010年の東日本大震災、多くの外国人が帰国してしまう非常事態になっていた。 2011年の4月を少し過ぎた頃に ALT (外国語指導助手) の空席が出てサンドイッチにも面接のチャンスが巡ってきたのだと思う。

そして 絶対に剃らないと言っていた髭も剃り埼玉県内の中学校で念願のALTとしての仕事がスタートしたのだった。しかし往復4時間の通勤とALT(外国語指導助手)の退屈なポジションと内容の実態にサンドイッチは将来性を見出すことが出来ず、日本での生活に見切りを付けたのだった。今、アメリカで再びサンドイッチは就活の苦悩の日々にある。

彼はラッキーボーイ的なところがある。私はまた奇跡が起きるのを願っている。

我慢強くガッツのあるジャズだった。

ジャズを失ってからブログを始め、もうすぐ一ヶ月になる。ほぼ毎日更新してしまっている。アサブロのランキングのアップダウン表示を毎日見ることになる。そしてNINJA TOOLSを設置した。訪問者は50カウント以内だった。これってもうそんなに増えようがないんだろうなと思い調べていて人気ブログランキングとブログ村のことを知った。登録したとたんに100を超えて200人近いカウントに驚いた!でもそれは最初だけだった。だんだん減っていくので寂しくなったりUPDOWNが妙に気になったりするのだ。

そうだよな〜内容によほど魅力なければリピーターしないよなと納得。しかしだ、この頃頭の中の優先順位がブログに移行しつつあるよでこれはマズいでしょって感じでいる。英語の勉強も怠れない私なのにこの頃集中出来ないでいる。ブログで頭が膿み出してきてるような感じがする。競争する必要もないのにアップダウンに踊らされる。それにはネタ撮りが怠れない。どこへ行くのもデジカメも身の一部で離せない。あ〜マジにこの頃、タグがどうのとか、ランキングがアップダウンだのとブログのことを主に考えてしまってるのだ。これはちょっとマズい傾向かな〜と思ってる。これが私のキャラクターで私のペースになってるのも事実だけど、少し改善していきたいと反省しているところだ。

明日いよいよ、車で二時間かかるところで9時半からサンドイッチの面接日。ミスは許されないので余裕に余裕を持って朝、6時15分に出ると言っている。私も一緒に行く、どこへ行くのも出来る限り一緒。これが私たちのスタイルだ。

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大雨と面接とドーナツを食べた日2013/06/04



大雨の降りしきる高速道路の走行は視界が悪く怖いくらいだった。高速道路にはパンクしたあとのタイヤの破片などが散乱してるのをよく見る。移動するのに高速道路を使うのは日常的なことでタイヤの破片も日常茶飯事?ちょっと怖いね。 2時間くらい運転して面接地へ予定より40分くらい早く無事到着。

いつものように私はDunkin' Donuts ダンキンドーナツで待つことにした。

いつ終わるか分からないし雨も降っているしで動き回る事も出来ず 私はその間店内で本を読みながら待っていた。

今回の面接は1時間ちょっとかかった。そこの校長先生の話しだと160人の応募から20人の面接候補者を選んで、そこから一人だけ採用することになっているらしい。

今回も狭き門だ!でも20人の内の一人に選ばれたサンドイッチ頑張ってるよ。

帰るころには雨も上がり 小腹も空いたころで普通にドーナツ食べて帰ってきた。

ダンキンドーナツはスターバックスよりも数多くどこにでもある。 日本のミスタードーナツとの違いが私には分からない。呼名の違いだけだと思っていた。

以下、ウィキペディア引用

ダンキンドーナツは1948年、アメリカ合衆国のマサチューセッツ州クインシーで創業。1955年ミスタードーナツはマサチューセッツ州ボストンでに創業された ミスタードーナツは、創業者どうしが親族関係にあるダンキンドーナツにとっての最大のライバルであったが、1990年2月に同社によって買収された。この買収に伴い、ミスタードーナツに加盟していたフランチャイズのほぼ全店がダンキンドーナツへ移行する事となった。ミスタードーナツブランドのままで営業している店舗は、ペンシルベニア州やフロリダ州などの東部地方に8店舗を残すのみである。 日本には1971年に日本での事業を開始しそのままミスタードーナツで人気が定着している。

以上、 全然知らなかった。

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独断の出産のススメ!”女性よ大志を抱け”2013/06/05

少子化と高齢化の背景には、人々の価値観の変化、医療技術の進歩などが主な理由になっていると言われて久しいく、私の年代と友人たちでさえ未婚の女性が多いのと結婚しても離婚率が実に高い。私でさえ三度も結婚しておきながら子供を一人も作らなかった。26歳で普通に結婚したもののそのあとの出産、子育てを飛ばしてしまった。アルバイトの経験しかなかった私は何故か結婚後に就職への道を選んだ。両親からも何度も促されていたが人ごとのように頭から子供を作ることなど考えていなかった。 最初の結婚で30代後半になった頃、女性として子供を作るか作らないかで最終自己確認で自問自答した。結果的にその後も作らない生き方を選んだのだった。一度も子供が居ないことで寂しいと思ったことも後悔したこともなかった私がアメリカで生活するようになって考え方感じ方に変化が表れてきたのだった。

渡米してから最初の大きなイベントはサンドイッチの長男とその新妻ですべて段取りて進行していったCape Cod(ケープコット)での結婚式だった。異国の地で世界で共通する家族という図式を客観的に捉え私自身の意識の変革を見た興味深いものになった。
メインの席にサンドイッチと前の奥さんが並んで座った。列席の取り決めでサンドイッチが事前に私を気遣いながら説明してくれていて、それは当然のことだと納得してしまうことだった。私はサンドイッチのすぐ後ろに座り親子、家族の絆の深さなどについて改めて感じながら考え始めた時でもあった。
1列目に両親、お婆ちゃん、サンドイッチのお兄さん夫婦で、2列目に私とサンドイッチの伯父さん二人と奥さん一人、三列目に元奥さんの妹とその娘だった。サンドイッチが最後まで私を気にしてか、なんで元夫のお兄さん夫婦が1列目に居て自分の妹が3列目なのかと 元奥さんが不満を言っていたと私に言うのだった。もし前の奥さんも再婚していたなら、別の図式で結婚式が行われてたのだろうなと考えたりしていた。
結婚式やお葬式でなにかしら不満を言う人はどこにでもいるよね。余談だが、伊丹十三の”お葬式”はそれぞれの人間模様が実によく表現された傑作品だ。 

牧師さんの変わりに長男エリックの親友が真ん中に立ち式を進行していくほのぼのとリラックスした挙式だった。

フランス人の前の奥さんの妹とその娘はパリからやってきていて、社交辞令でニコニコと互いに挨拶したり、私も前の奥さんにおめでとうとハグしたり、やはり特別な日にはそれに相応しく時間が流れていく。
挙式の後の思い出の記念集合写真は最初私は予定されていなかった。子供たちにとっては離婚しても大切な両親であって両親だけの写真を撮ったりしていた。サンドイッチのママが”私”も一緒にって言ったてくれたらしく最後の一枚の集合記念写真に入ったのだった。 子供たちにとっては離婚してようが永遠の両親になる。この事実はDNAで引き継がれていく。 彼等が捉える彼等の家族構成に私の位置づけがないのをこの時に悟り同時に何か大きな忘れ物して生きてきてしまったような自分の意識の未熟さに目が覚めていく感じだった。事実その通りだと思った。彼等にとって私はアメリカでサンドイッチの一部分であるだけなのだ。
NYに住むお兄さんと奥さん

彼等は共に40歳で結婚して今21歳の娘が一人いる。

結婚式が終わってから帰り際に、サンドイッチのお兄さんの奥さんが私に”good job”と言ってきた。私の解釈では彼女は”あなたはよく辛抱したね”みたいなことを言いたかったんだと思う。あまりおしゃべりな人ではない彼女は一部始終を見ていて彼女なりに私の気持ちを察してかけた言葉だったのだろと思っている。

2008年10月のサンドイッチとママ

アメリカではサンドイッチとママの存在だけが私を支えてくれている。 サンドイッチのママはいつも私を気遣ってくれる心優しい人だ。私にとってもMamはアメリカで大切な大切な人だ。

ま、今更、再々婚して今更、アメリカへ移住した私であって今更を踏まえた上で楽しみながら生きていくしかないわけだ。 もし私が一人になった場合、アメリカで生きていけるだろうかとこれも今更ながら考えることがあるのも事実だ。それは経済的問題、言葉の問題、天涯孤独とすべてが困難である。誰にも迷惑をかけられない私はその時に再び人生の選択が強いられる。とりあえず今は考えないようにしている。

2013年3月のサンドイッチと二男ジェレミー

ジェレミーはパパが大好き、会うとジェレミーの学校での話しが止らない。

今更ながらそんな訳で、やっと子供の絶対的な存在の尊さに気が付いたのだった。子供と縁が切れることは滅多な理由がない限りないことだと思う。身近なサンドイッチのママと、息子たちのステキな親子関係を通して親子関係ってまんざらじゃないんだなって悟ったのだった。 やがて親を超えた子供たちは親に優しく向き合えるようになるんだと思う。 こんな生き方してきた私が言うのもおかしいのだけど私は今こそ言いたい”女性よ大志を抱け”

是非出産のチャンスを持ってもらいたいと思っている。

2008年10月のブーちゃんとジャズ親子

この小さなボストンテリアのブーちゃんはジャズの実のお母さん。

三ヶ月間もの間、ジャズを預かってくれたホームブリーダー、

ペットショップ グッド・ディレクションさん

その節は本当にお世話になりました!

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