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潜在的差別もない人に触れて2015/12/31

潜在的差別もない人に触れて

前回のブログで、自らを『存在感の薄い私は...』と言いましたが、

それは例えば、

家系図による家族のつながりや関係性を考えたときに、遅ればせながら

アメリカ人の『家族』の一員に今更なったような私の立場であって

私自身ですら、結婚したとはいえ『家族』と言うには、なんだかこそばいくも

ありで、実際にピンとこないのが正直なところの気持ちであります。


では、日本の私の『家族』はと考えてみるとこれまた、

認知症になって娘を認識出来なくなった母と絶縁関係の兄妹だけで...

こう考えてみるとすっかり家族との縁が薄くなってしまった私であります。


しかし、幸福感というものは極めて主観的なものであって 私の場合それで

悲観的になったり自分が不幸だなんてもちろん思ったことはありません。


こうして一般的にみると、『家族愛』に恵まれていないような私ですが、

アメリカの『家族』のなかで、相棒のママが私へ向けてくれる気持ちは

とてもありがたく私のアメリカ生活において大きな精神的な支えになっています。

そのママの気持ちは渡米した時にすぐに実感することが出来きたのでした。

そして、平均的なアメリカ人の相棒の家族、

子供達、お兄さんファミリーはみんな普通にいい人たちです。


家族が揃う家族の大イベントの一つで相棒の長男の結婚式が、

渡米してから三ヶ月後に予定されていて私も参加しました。

3年近く日本で暮らしていたパパの再婚相手ではあるけれども、

アジアからアメリカへと遅ればせながらやってきた人で どうしても

『家族』として実質的に位置付けが薄いアジア人の私なんだと思います。

離婚しても子供達にとっては永遠の両親であることに変わりはありません。

単純にそれ所以だと思いますが、家族の合同写真撮影では外されていました。

血縁が絡む集まりではどこまでも謙虚に振舞うのがやはり遅ればせながら

やってきた私の立場であることを自覚したときでもありました。

しかし、その時でした。ママの要望で”彼女も一緒に”と言ってくれた一声で

一枚の写真におさまった私でした。相棒はすべて子供達が段取り取り決めた

結婚式なので決して口が出せないと言っていましたが、

今では私にとって ママのフェアな配慮の気持ちが込められた

ママとの大切な忘れがたい一枚の写真となりました。



ママはいつも私のことを義理の娘とは言わずに『私の娘』と言って誰にでも

紹介してくれます。その優しい心遣いは、ありがたく心に沁みてきます。

そんなママの存在は私とっても大きく本当に本当に大好きな人です。


90歳のママは、体調に数々問題がありますが 脳の方は今だパーフェクトで

今でも驚異的な記憶力を維持しています。

それだけに、思うようにならないフラストレーションが募っているようです。

身内びいきではないママは家族の不満もハッキリと私たちに愚痴ります。


同じ90歳の私の母は認知症も以前より進んでしまいスカイプで会っても

その状況が理解出来きなくなって混乱していますが、今も変わらず天真爛漫で

幸せに暮らしていますと言いう母には感謝の気持ちと笑顔だけが残っていて、

施設の実態がどうあれ幸福なのかもしれません。(そう思いたいです。)


アメリカ人の相棒のママと日本人の私の母は偶然にも同じ90歳で、

老後のあり方や過ごし方に違いはあっても 心のあり方は、ピュア&フェアで

人への気遣い人への感謝の気持ち誰にでも潜在的差別意識がないママと母です。


そんな母に育てられ、そんなアメリカのママに巡り会った私は、

それだけでも充分にラッキーで幸せなことだと思っています。


図式上の家族も大切でありますが、ないものねだりしても何も始まりませんね。

私は、今あるこれからもある人と人のよき関係性を深めていきたいと思います。



ではでは、

皆様、来年もよろしくお願い申し上げます。良いお年をお迎えください。