アメリカへ移住 ― 2013/05/11
移住を決めてからあまりにも短い期間に沢山の事をしなければならなかった。誰に頼まれた訳ではない。私たちが決めたこと。誰にも文句は言えない。移住ビザの手続き、 ジャズの空輸手続き、アルツハイマー型認知症の母のグループホーム入所空き待ち、 入所の手続き、母の引越、親の家のこと、雑多の用事、その他諸々の事。誰も頼れる身内がいないのですべて自分で判断して実行しなければならなかった。私の処理能力を超えていたが、 後戻りは出来ない、止ることもできない、前へ進むのみだった。
タイミングよく母の入所が決まり、私も面接の通知を受取り、2012年5月21日にアメリカ大使館で米国移民ビザの面接を無事に終えた時は、第一関門を超えた気分になり、つかの間だけどほっと安堵した。
2012/06/20 成田発→ニューヨーク行。 2013/03/25 ボストン発→成田行。 行きはジャズのために負担のない直行便で、オープンチケットを購入した。 犬のチケット代はプラス3万円だった。
この日にちの選択は私が決めたものであった。帰りのボストン発から成田行きは後に、25日の予定を24日に変更した。
その日がジャズとの別れの日になるなんて、今だ事の成り行きが消化出来ないでいる。 もし変更していなければ私はジャズの死に目に会えたことになる。 何故、ジャズは25日に逝ってしまったんだろう。 その話を親しい友人にした時に、あなたがそんな生き方をしているからでしょうと言われ、的を指されてしまったのか、私は何も言えずに絶句していた。
最近のコメント