多分…貧乏臭くない私たち ― 2017/12/13
生活の安定感や幸福感の度合いも人それぞれであって、その実態は決して表面的
なところだけ見て判断はできませんね。理想と現実感の間の落差がありすぎると
ありのままの今と自分を受け入れられずに血迷ってしまうかもしれません。
前にも言いましたが、上を見ても下を見てもキリがないワケです。
毎日繰り返される生活の基本的な部分で気持ちの安定感さえ得られていれば、
とりあえずは不満や愚痴に犯されて心が腐ることもないんだと思います。
最終的に縁もゆかりもないところに家を購入して行き着いて来たのですが、
これもなんだかの導きがあってのことでしょうか、そんなことを考えると不思議な
感覚になります。これまでの流れを振り返るとですね、遅ればせながらですが、
ささやかな日常的なコトの大切が心にしみてくるようになりました。
多くを望まないようになり、生かされていることに感謝出来るようになりました。
そして、想像力を活かして感性を保てばどんなに質素な生活の小さな部分にも
小さなキラメキがあるのを感じるようになりました。
こんなこと言うとですね、それは「歳のせい」って声が聞こえてくるようですが、
それで片付けてしまったらそこまでなので、私はそのプラスαの感性の部分に
視点の重きを置いて生きて行きたいといつもそんなこと思っています。
感性のない人はたとえ若くっても魅力的でないですね。
もちろん今の生活感がベストだとは思いません。今までやって来たこと、
今やっていること、今後やれる事などなどと生きて来た年月と残された年月を
考えますが、 結局はですね、今の自分を否定せず今を受け止めて今やれることを
やっていくことだけに落ち着くと、このシンプル思考に尽きるんですね。
そのままの自分を肯定することでなんと気持ちもラクになります。
ちっちゃい人間かもしれませんが、僅かなパート代を得るだけで、
なんとなく経済的に以前よりゆとりが出て来た感覚になってしまってます。
それはあくまでも感覚だけであって実態は余裕のない生活レベルが低い私たちに
は変わりはないんですが、 今までためらって買うこともできなかった物が、
働き出したことだけで結構すんなりと変えちゃう心理の変化を味わってます。
そう言ったって、我が家は食費が一番かかるくらいで、身の回りの服やらあれこれ
と衝動買いすることほとんどありません。そう言う意味ではもう若くないんで
今あるものでほとんど間に合わせています。
経済的なゆとりがないゆえにそうなのかなぁと、貧乏と貧乏症は意味合いが違うの
ですが、我が家の貧乏感を感じることはですね... 例えば相棒、穴の空いた靴下を
捨てずに縫って直してます。 買い替えれればいいのにと言うのですが、靴下を
繕って直すのが好きだと言います。もう一つには穴の空いた下着でも捨てません。
8年間の結婚生活で買ったことないと思います。さすがに下着は繕うことは
しませんが...一体どこまで穿き尽くしていつ買い換えるつもりなのでしょうか。
質素で時には貧乏臭いような生活感でも不満を持たず落ち着けるのはですね、
上下を見たらキリがないとこの私レベル感で、超いい時も超悪い時もどっちも
経験してこれたからだと思います。 そのどちらもその時に無心で真っ直ぐに
受け止めてその真髄を浄化してこれた結果だと思います。
今の現実的な生活感なんですが、家の小さな問題をいろいろ抱えていますが、
居心地は決して悪くないんですね。きっとこの簡素でキュートな家の雰囲気の
感じが質素な生活感を持つ私たちにフィットしているんだと思います。
パートするようになって少しづつ必需品で欲しいものを躊躇わずに買えるように
なりました。 好みが一致するので迷わず選んで買ったベッドカバーです。
これだけで家の中がパーっと明るくなって、なんてキュートなんだろ〜で満足!
枕カバーを何気なくリビングに置いて見るとやっぱりキュートさが増したぁ!
(カウチで寝そべる時のピロー)
これだけで見るたびに幸福感に浸れるような本当に本当に安上がりに出来ている
ある種の似通った感性のある私たちで、 生活に余裕がなくってもお互いが
卑屈な気持ちになることがないのは、本当〜に生きていて幸いしています。
そしてここにもベットカバーとお揃い柄!
たったこれだけのことなんですが、質素な部屋には効果抜群です。
つつましい生活の中にも持ち前の感性を活かし心も踊る居心地のいい部屋に
なるワケで、楽しむ余地を得ていくのも自分次第だと思えることに救われます。














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