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夫の変化2018/02/01

夫の変化

私が働くようになってから、このブログのタイトル『サンドイッチとおにぎり

の二人三脚』が、アメリカ生活で本格的にスタートした実感があるこの頃です。


日本での2年半の生活では、日本語が分からない夫の面倒見と認知症の母親の

世話に、さらに仕事をしながら家事労働もしてフル稼働していたと思います。


アメリカ生活になって無職になった途端、家事労働だけが私の仕事になり、

唯一、夕飯の後の皿洗いだけは、結婚当初からやってくれる相棒です。

きっとそれは良き夫でありたいささやかな気持ちの現れだと思います。


今思うとですね、渡米して5年間はなんてラクしていたんだろ〜とね。なので、

そんな身分ではないのにラクして来た分、今は仕事に勤しまなければなりません。


渡米当初、先ずは私にとって英語の勉強が最優先だったこと、相棒もフルタイムで

仕事をしていたので、私が専業主婦であることはとりあえずは表面的には問題は

ありませんでした。 相棒が限界を超えた2016年10月で教師の仕事に終止符を

打ってからは、私たちの生活の流れが大きく変わり始めました。相棒が正社員で

働かなくなった分、当然の成り行きでまずは私も仕事を始めることを視野に

入れて、日々口にするようになりました。当人の私は分かっちゃいるけど、

一体この私に何が出来るの〜とイマイチ積極性に欠けていた私でした。


2017年になると家の購入、7月には引っ越し、セカンドカーの購入と慌ただ

しくも実現していき、も〜ここまで揃ったら私も働かないワケにはいきません。


最初に面接したところで奇跡的に採用されて9月の終わりから働くようになった

途端に私たちのこれまの生活感がガラッ〜と変わりました。


いくつか掛け持ちでパートタイマーの仕事をする夫と夜の時間帯に働く私ですが、

家でのすれ違い生活が多くなりました。 今の所は日曜日だけ一緒に過ごします

が、平日のこのズレズレ感、私には理想的で非常に解放的な空間で心地よかった

りするのが本音です。


これも前に少し触れましたが、私が働くようになってからの大きな相棒の変化は、

私の負担を減らすために週一の掃除機とお風呂、トイレの掃除を自ら引き受けて

くれたことです。掃除機、トイレ浴槽掃除なんて、私が一時帰国してアメリカへ

戻って来る時にやってたくらいだと思います。

相棒はベッドメイキングが好きで、進んでやってくれまので、私は相棒が掃除機

かけた後の拭き掃除と洗濯をするくらいになりました。


毎日の献立を考え一番手がかかる台所仕事の状況も随分と変わりました。

外食の少ない我が家では、以前ほとんどおさんどんしてたような毎日でした。


結婚以来変わらないことで朝食だけは、好きなものを各自の時間帯で各自で

食べるのが定着していて、休みの日は起きる時間帯も違いほとんど一緒に

食べることはありません。この感覚ラクで好きです。


ランチが必要な時には自分でサンドイッチを作って持参していきます。

火曜日と木曜日の仕事がない日の夕飯作りは私が担当しますが、日曜日の夕飯は

相棒が率先して作ることが多くなっています。

仕事のある日の私は、おにぎりかチャーハンを作って持参していますので、

その夜だけ相棒は残り物か自分で好きなものを作って食べています。

ランチの時間帯に一緒に過ごす時には、私が作ったり相棒が作ったりと決まり

なくその時々でどちらかが作るようにしています。


ってことはですねぇ、、随分と家事から解放されている今の私ではありませんか!


今の所、相棒より私の方が少しだけハードに働いている状況でもあって 、

ハードワーカーの私を思いやってくれるようになったんだと思います。

これが相棒がよく言っていたシェアシェアの感覚なんだと思います。


体力のない夫と体力のある妻とのコンビで、釣り合ってきてるのかもしれません。


ヤードの手入れ仕事は体力のある私が進んでやります。

こないだ結構大きな枝が折れかかりぶら下がったままで、いつ落下するやらで

心配で、相棒に言うと重い腰をあげて手が届くあたりで枝をノコで切り始めて

いると、それを見ていてか見兼ねて隣のジョージがやって来て、枝切り用の

長ーいノコギリを貸してくれました。案の定、相棒は手際よくありませ〜ん。

隣のジョージに追加で脚立を借りてバランス感覚の良い私が脚立にスイスイと

登って支えなしにスイスイとノコギリを前後させて見事に切り落した私って

やっぱ相棒よりも大工仕事出来るじゃ〜ありませんか!

隣のジョージさん、脚立二つ持っているので、なんと!これはプレゼントすると

言ってくれました。持つべきものは面倒見のいいお隣さんでしょか。


そんなこんなでアメリカ生活もこの6月で6年目になりますが、ようやく私たち

らしいありさまで、夫婦一体となって二人三脚で歩み出している実感がします。



一週間歩かない生活を送ったら…2018/02/03

一週間歩かない生活を送ったら…


オータムが足に問題を起こしてから、一週間の間は大事を取っていつもの散歩


コースの歩きを控えて、家のヤード周りを排泄のために歩くだけにしていました。



 そしたらですね、とたんに私が運動不足になって不調になった?




月曜日は、忙しくもないのにやたら疲労感を感じていました。


それでも頑張ってしまうのが私の難儀なとこでもあって、帰宅後さらなる疲労感



に襲われてしまいました。一夜明けても肩の凝りが抜けずに気怠いままでした。


オータムが十字靱帯損傷と診断された24日からずーっと心配から解放されず


様子を見ていましたが、もしも靭帯が損傷してれば、歩きも走りも出来ないはず、

10日分処方された薬を一回だけ飲ませたことで回復したとは思えませんので、

前十字靱帯損傷は
誤診だったことになります。 ただ今だに一体何故?原因が

分からないままで、いつまたなんどきに発症するかという心配はあります。


早速、一週間経過してから散歩コースへ出向いてみました。

オータムの足もまったく今までと変わりなく歩きにも問題なさそうです。


一週間ぶりに歩き始めると驚いたことに、少しづつ私自身の身体が微妙に

反応してさっきまで気怠かった体が軽やかになっていく感じがありました。

歩いているだけで身体の凝りがほぐれていくようなウソのようなその現象に、

たかが犬との散歩されど犬との散歩で、飼い主にもその散歩がもたらすその効果


に、歩きながらこれは気のせい?とも思ったりしたのですが、


その後その気怠さは実際になくなり改めて歩くことの大切さを実感したのでした。


それでなくっても仕事を始めてからは日課だったウォーキングからすっかりと


離れてしまった私です。
仕事場で小まめに動いているつもりでも、偏った動きで

たかだかに過ぎないんですね。全く動かないよりは少しはマシですが、

今までと比較したら到底足りない運動量で全身の血液循環が
滞り、無理をすれば

ダメージを受けやすく、心身共に強張りやすくなっているのかもしれません。


オータムとの散歩を控えてから5、6日経った月曜日の夜の仕事中は忙しくも

ないのに妙に疲れを感じてしまい、キッチン内のいつもの掃き掃除とモップがけ

がやたらしんどく感じていました。だいたいは私一人で
やるのが定着していて、



それはいいんですがね、おしゃべりしながら〜で手よりも口の方が動いてる感じ

仕事が遅いハード洗い場の連中、私の掃除が終了しても終わらず、喋りながらでも

もっとテキパキ出来ないのかな〜で、連中のマイペースな仕事っぷりを見るに


つけイラついてしまう私です。きちっとやっていて仕事が遅いのはいいんですが、





連中の仕事の姿勢がねぇ、、日本の職場だったらってつい比較してしまう





まるまる日本人の姿勢が抜けない私の方がここでは異質であるかもしれません。


お休みの次の日も疲れが取れずに、この日はいつもになく肩がパンパンで体が

悲鳴あげてるようで、これじゃ〜仕事続けられないかも〜と思う
くらいマジで

不安になりました。


歩くことが当たり前になっている私が歩きをやめた途端、仕事での体の
凝りが、

解消されなくなり血液の巡回が悪くなってしまったのが原因だったようです。



 オータムとの散歩が私にとっても全身のストレッチなっていて、効果大です。

それを含めて犬との生活は計り知れないほど大きなものになっているんですね。



本意気で面接2018/02/06

本意気で面接

二週間限定だった大学構内で教材などを扱っている本屋の臨時パートタイマーを

した相棒なんですが、マネージャーに気に入ってもらえたのか今週も続けること

になりました。 多くの臨時パートタイマーがいたので、恐らく相棒は真っ先に

切られるかなと思っていました。 相棒には、単純作業における仕事場での私の

働きっぷりをよく話していますので、私を見習って忙しくない時には整理整頓

したりと手を休めないで仕事しているから評価されたと思うってことでした。


この本屋の仕事では人間関係のストレスもなく仕事内容のプレッシャーもなく

働きやすく出来れば続けたい相棒ですが、忙しい時期が過ぎ去ればそれ以上

必要とされないようですので、ここでの仕事は今週で終わってしまうと思います。


パートタイマーで安定した仕事を得るために、いつもチェックしている相棒です。

そして、めったにないこのチャンスで、これぞという仕事がありました!


パートタイマーの数学教師の募集があり応募して先週面接の通知を得ました。

教師の面接は2年ぶりになるでしょうか、前日には用意万端に整えていました。


あとは、偏頭痛が起きないことを願うだけだね〜なんて言っていたのですが、


まさかのまさかで、夜中に偏頭痛に襲われてしてしまった相棒でした!

このタイミングでなんてこった〜!愕然としてしまいました。


その日は英語クラスがあったのですが、もし無理しても面接受けるなら私が

運転して連れて行くと提案すると、8時まで様子を見てその時に決めるという

相棒、強い薬を飲んで寝む様子に気を揉みながら待機していました。

それから1時間経過して、まだかなり調子悪そうでしたが、

たとえ小さなチャンスでもこの面接を逃したくないので行くと言ったのでした。


いつものようにかなりの余裕を持って家を出る私たちです。家から車で30分

くらいで着いて、中学校と高校の校舎がある同じ敷地内の駐車場で待機しました。


10分前になっていざ出陣する久しぶりの相棒のスーツ姿を見ながら祈るような

気持ちでした。 一つだけ以前と変わったことはですね、髪の毛を伸ばしている

ことです。 私は短髪の方が好きなんですが、今は久しぶりに伸ばしたい心境な

ので断固切らないと言ってますが、突然に気が変わったりする相棒でもあります。


30分の面接を終えて、車に戻ってきました。 やはり多くの応募人が控えていて

二日間面接で、その結果は今週に受け取ることになっています。


中学校の数学の資格は持っていても経験のない相棒なので厳しいかもしれません。

しかし、面接が受けられて本当に良かったなと思っています。

もし面接をキャンセルしていたらいつまでも未練が残ってしまうので、

たとえ採用されなくてもその結果を得ることできちっと先へ進んでいけます。


もしももしも奇跡が起きて採用されれば、特別なプログラムに沿って週3日間、

朝から終業時間まで働くそうです。

そうなれば、他のパートを辞めてこの仕事に集中する態勢になっていくようです。


せっかく持った資格ですので、それを活かすに越したことありません。


いよいよ仕事がなければ、悠長に選んでいられません。 安定した時間で仕事が

できるならスーパーでの袋詰めの仕事もすると言っています。


一見軟弱そうな相棒なんですが、一般的なアメリカ人にはあまり感じられない、

礼儀正しく謙虚なその直向きな姿勢と 気負いのない自然体なとこが相棒の長所

であります。 相棒の性格はアメリカでは評価されにくい部分だと思いますが、

私にとっては人を評価するのに、これぞ大事な見逃せないポイントですので、

この部分での相棒は、私のパートナーとして満足であり満点であります。



日本人の私の手の甲にキス_占領期の日本駐在経験者と出会った2018/02/08

日本人の私の手の甲にキス_占領期の日本駐在経験者と出会った

私たちが住むコミュニティーと、隣接する違うコミュニティーを合わせると、

正確には知りませんが、おそらく120棟くらいはあると思います。

両方のサークル内をオータムの散歩で通る私を、ここの地域に住む人々の誰もが

知っているのかもしれません。犬の散歩でいつも歩いているアジア人は、

アメリカ人の夫を持つ日本人よ〜って、口伝えに聞いているんだと思います。


そして、

いつものように隣のコミュニティーを歩いている時でした。どこのお宅でもよく

見る光景なんですが、あるお宅の庭先で掃除をしていたその住人の姿を見るのは

この時が初めてでした。ハローと挨拶して通り過ぎようとしたそのときに、

”こんにちは” と、確かに聞こえたその日本語に瞬時反応した私は笑顔で、

あなたは日本語で”こんにちは” と言いましたか〜と言いながら歩み寄りました。


するとですね、その男性は何と第二次世界大戦後の1947年の占領期に18ヶ月

東京駐在していたことを話してくれました。そして、覚えてる限りの日本語を

数の数えから始まって思いつくままに話し始めてくれました。私達の親の年代の

人が一切喋ることがないアメリカ生活で、長い年月が過ぎてそんな片言だけでも

今も覚えてるなんて、やはり若い時の吸収力はすごいなと思いました。


ふと見ると、奥さんの車でしょうか、一台駐車場に入ろうと停まったので、

Have a good one! で、そこを去ろうとするとですね、極々自然に彼の方から

私に握手をしてくれました。そして、更なるその心境は何だったんでしょうか...

その後、ごくごく自然に私の手の甲に軽くキスしたのでした。


もちろん普通の日本人の私がそんなことされたことなく、普通はびっくりして

しまうのですが、たった数分間のことでしたが、私も何か感慨深い心持ちに

なっていましたので、その自然な行為に何の躊躇いもありませんでした。


どちらかと言うと私は情緒的に物事を捉え感性や直観を重視する傾向です。

なので、何かを懐かしむような日本への深い想いのようなものが、その男性から

伝わっていました。想像の範疇であって、その男性の心境の真意はわかりません。


戦争を知らない世代の私には、もちろん日本占領時代の認識が全くありません。


その男性がどんなポジションで東京駐在していたのでしょうか、遠く若き日に

特別な時を日本で過ごした人、戦後すぐの日本の様子や実態は知りませんが、

私の直観では、この人は心のある普通の人であって、日本人の私と話をして

一気にその18ヶ月過ごした月日のたくさんの事が蘇って、純粋に懐かしかった

んではないかと思います。 ましてや終の住処で再び身近で70年ぶりに日本人と

会って話をするなんて夢にも思ってもいなかったんだと思います。


手の甲へのキスは、「敬愛」を表す意味になるそうです。敬愛される覚えは

もちろん私にはありません。 私が快くその男性の握手を受け入れたことで、

なんですかですね…その男性には日本人への親愛の情があったんだと思います。

18ヶ月の占領下の日本でのあらゆることが走馬灯のように駆け巡り、

そんな私たち日本人のために言葉にならない『何か』を伝えたかった...

実は彼にとっては、私の手の甲は日本の大地だったのではないでしょうか...


感傷的な私はどうしてもそのように平和的に解釈してしまうのですが ...


心無い日本人もたくさんいます。心ある優しいアメリカ人もたくさんいます。

日本人をこうして敬ってくれる人との出会いとその縁の不思議さを感じます。


たったこれだけのことで、私は子供のように嬉しくなってしまうんですね。


日本人の血が流れる私の魂で何かを感じ取ったこの小さな良き経験なんですね、

なので、万が一にその私の尊い経験の気持ちをあっさりと、何だそれ!で、

壊されたくないので、相棒には、握手して別れたことだけを話しました。


この時の微妙な心の状態は、日本語でも表現しきれないのに、

英語では到底表現できませんので、話さないのが無難であろうと判断しました。



甘かぁ~ない、これが現実だ!2018/02/10

甘かぁ~ない、これが現実だ!


片頭痛にもめげずに奮闘した相棒でしたが、数学教師の面接結果は不採用でした。


 ダメかな〜と思っていても、内心ではもしかしたらっ...と、


連絡通知が遅くなるほど思いを巡らしたりで朗報を期待してしまうものです。


あっさりと残念な結果を得た瞬間は、やっぱりガックリ〜の一言に尽きますが、

落ち込んでいる場合じゃない私たち、気分を
入れ替えて前進のみであります。



私たちの先行き不透明でまだまクリアになりませんが、 とりあえず大学構内の


本屋さんのパートタイマーの仕事が来週も続けられるとのことです。しかし、

このパートもいつまでなのか、20代後半の若いマネージャー次第みたいです。



 今の相棒ペースは、本屋で週25時間くらい、科学の出張先生が週3回くらい、

家庭教師が週一、我が家の経済事情では二人の労働を合わせれば家賃ゼロなので、

なんとか生き延びていけます。月々固定額の住まいの賃貸料は本当に大きかった

ことを考慮すれば、私たちには手頃な家を購入したのは大正解だったと思います。



 パートタイマーでもある程度安定した仕事を得るのが、今後の相棒の課題で、


 甘かぁ〜ないこれが現実ですが、まだまだ働いていかなければなりません!