ブログは心のエクササイズなのかもしれない ― 2016/07/04
一週間ほどブログを離れてみたのですが、やはり私にとっては、心と物事に
けじめをつけていく 作業の一つとして欠かせないものかなと思ったりしています。
料理も、手順や段取りなどいろいろ考えるため脳によいと言われますが、それと
同じようにブログを習慣にすることは心の活性化になっているのかもしれません。
たかだかのブログであったにしても、それに費やすものは料理と同じ感覚で、
テーマや素材がお粗末であったり、気持ちが入らず惰性だけになってしまうと、
味も素っ気もないものになってしまうのかもしれません。
ファッションでもなんでも物事はそうなんですが、こだわりあるとないとでは
人に与える印象や味わいなどのアピール度は随分と違ってきます。
私のブログといえば特別なテーマと素材のこだわりはなく、冷蔵庫にあるその時
に目にしたもので、今日はこれを作ろうで献立を決める感覚と同じく、ごくごく
一般的な庶民派感覚で味わう定食メニューのようなブログのつもりであります。
それでも、料理に費やす時間と同じくなんだかんだと最低1時間、場合によって
は それ以上の時間を費やしたりします。なのでブログから離れてみると、
その分他のことに集中出来るってこともあったりします。
しかしです! 英語圏に暮らしていて満足な英語表現が出来ない私にとって、
(その現象にすら慣れて暮らしてしまっていますが...)
実はその言葉の壁へのフラストレーションは半端じゃないんですね。
深いところの自分の気持ちを表現できるのは日本語しかないんですね。
頭の中だけで考えているだけでは堂々巡りしてる感じなんですね。なので存分に
日本語で吐き出し思いを表現すること、これはやはり大事なことなんですね。
ウツウツとしたものを誰にも話さず打ち開けず一人で頭の中で抱えていると、
ネガティブな自己イメージが勝っていくような感じになって自己否定の領域が
どんどん膨らんでいくだけなのかもしれません。
適度な運動をして汗をかいて体にたまっていた老廃物や不純物を排出するように、
心に抱え込んだ毒を吐き出すのに、身近なブログは効果があるのかもしれません。
愛犬ジャズを失ったアメリカでの生活を支えてきたのも自らのブログでした…
それを思えば、生殺しのような今の境遇をブログに吐き出しながら
乗り越えていくのが私の生き方のスタイルの一つなのかもしれません。

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